見出し画像

【6】筑波大学を中退して旅に出た話⑥

大学を中退して、沖縄の離島でリゾバして、海外バックパッカーになるまで。

ついに大学中退編、完結!
長くなるけど、最終回だから放送枠を拡大してるってことで許してね(^_-)-☆
退学の最終関門、それは親の説得。

↓退学を決意した経緯

↓大学の学びを否定する理由


親に学費を出してもらうこと

オープンキャンパスが終わるや否や、大学の事務に行って退学届をもらいました。
休学にせよ退学にせよ、まずは担任と面談をして、それから保護者からの承認印を得る必要があります。
もう成人しているのに、学生は親からの承諾がなければ自分の進路を選ぶこともできません。
(まあ、極論、勝手に家の印鑑を持ち出して自分で押してしまえば、退学届は受理されてしまうんだけど)

ぼくは奨学金とバイト代で家賃を含む一人暮らしの生活費を賄っていたけれど、学費だけは親に出してもらっていました。
ぼくを含む学費を親に依存する大学生は、経済的に自立していないのです。
親が「学費を出してやっている」限りは、大学での行いに親が口を出すことを拒めません。
親本人が「教育費にいくらかけてると思ってるんだ!」というようなことを言わなかったとしても、お金を貰っている側としては多かれ少なかれ罪悪感を覚えることがあるでしょう。

自分にとって大切なことが何かを考えれば、時に講義を休んででも、単位を落としてでも、優先しなければならないものがあるかも知れません。
その結果、多少成績が不振になっても、自分の中で有意義だったと思えるならそれでいいと思います。
しかし、この生活が自分の金で得たものでない限りは、世間から要求されるものに応えなければならない。
そういう思いに捕らわれてしまいます。

これは親の金にしてもそうだし、奨学金にしてもそうです。
大学で学ぶことで社会に貢献できる人材になる、それが国益になるから国から投資してもらっているのです。
「大学は人生の夏休み」なんて言うけど、そのモラトリアムのために税金を食い潰していることを自覚しなければなりません。

大学に入り直す可能性

一度大学を辞めて社会に出た後、再び学びたいことを見つけて大学に入り直すことがあるかも知れないと思います。
今のところそういう予定はないんだけど、まあ、人生が何が起こるか分からないから。

例えば、今度、日本語教育の資格を取ろうと思っています。
日本語教育能力検定試験というものがあって、これは日本人なら誰でも受験可能であり、合格すれば大卒でなくても何歳であっても日本語教師になる資格を得られます。
それで、海外で日本語を教えながら、自身も異文化を学習するということを画策しているのですが、仕事をする内にもっと専門的に日本語を研究したいと思うことがあるかも知れません。

そんな風に、「この学問を専門的に学びたい」とか「この仕事に就くために資格が必要だ」とか、具体的な目的ができたときは大学に通うかも知れません。
もう教養のために大学にいこうと思うことは無いと思います。
教養のためなら、大学にいくよりもっと良い方法が他にあると思うからです。

↓大学は専門教育の場であって、教養を学ぶ場所ではない。

あるいは、一つの地域に留まらないで仕事をするモナドワーカーは、Webデザインやプログラミングの仕事をしていることが多いです。
今の時代ITの需要は大きいし、パソコン一つで作業が完結してリモートで仕事ができるから、モナドや旅人と相性がいいのです。
そのため、情報系の学科に入り直して、スキルを身につけようと考える可能性はあります。

まあ、KLiSという特殊な学科だったとはいえ、ぼくも一応情報系の学科にいて、プログラミングやデータサイエンスを学んだんですけどね……。
あんまり性に合わなかったんです。

情報化・オンライン化・グローバル化が進んで、世界がどう変わっていくかということや、テクノロジーがもたらす人間の新しい可能性には興味があるんだけど。
情報系の界隈って、根本的に人間性が欠如しているんですよね(最低な偏見)
人間の思考や行動を制御できるとか、世界の全てはデータや数式によって記述できるとか。
技術だけが先行して、倫理的な責任感を持ち合わせていません。
もっと優しい世界を目指して科学を応用してほしいですね(^_^;)

それともう一つ、語学とかITや統計とかというのは、基本的に手段としての勉強なんです。
それそのものを対象として真理を追究していくのではなく、他者とコミュニケーションを取ったり、作品をつくって表現をしたり、研究の具体的な調査方法になったり、そういう道具としてあるものです。

「いい大学に入るために試験対策をする」とか、「就活のためにTOEICでいい点数を取る」とか、「お金を稼ぐためにスキルを身につける」とか、そういう手段としての勉強が昔から苦手でした。
そういうのって楽しくないし、なんかズルをしているような気分になります。
それ自体に学ぶ意味があったり、それをすること自体が楽しかったりするものをやりたいなと思います。

そんなわけで、「専門的なスキルを身につける」ってこと自体あまり好きじゃないから、やっぱり大学にいこうとはならなそうなんですが。
……すみません、話が逸れましたね(^_^;)

あまり気が乗らない手段としての勉強を、それでもやるべきだという強い目的意識があったとして、今度大学に入り直すときは学費を全部自分で支払おうと思います。
親が学費を出してくれるということは、とても恵まれたものです。
でも、やっぱり自分が本当にしたい学びを追究するなら、それが自分で勝ち取ったものでなければならないと思うんです。
「私が自分で選んで勝手にやってることだから、他人に口出しされる筋合いないわ」って言えなきゃいけないってことです。
それなら、自分なりのスタイルを貫いても、途中で辞めたり道を変えたりしたって、批難されるものではない。
本来そうあるべきではないですか?

誹謗中傷する人は嫉妬している

茨城県 大洗駅
鹿島臨海鉄道
田園風景に1本の線路がずっと伸びている

さて、退学届に印をもらうため、実家に帰省しました。
その道程で、退学届の写真を載せ「親子喧嘩してくる」という文言と共にTwitterに投稿。
ぼくは歯に衣着せずズバズバものを言い過ぎたからTwitter界隈ではかなり嫌われていて、ここぞばかりにみんなから叩かれ炎上しました笑

あえて狙ってやったことです。
ぼくは自分の意見に賛同してもらいたいとは思わないし、他の人に「退学しろ」とか「旅に出ろ」とか言うつもりはありません。
ただ、「君達はどう生きるか?」というメッセージを投げかけてやろうと思ったのです。
これを期に、各々が自分が大学に通う意義や自分にとっての学びを考えてくれたらいいなと思いました。
それで、「自分にとっては大学に通うことは意味があるから、このまま卒業しよう」と結論づけるなら、それはそれでいいんです。

期待した通りツイートは瞬く間に広まって、みんなが大学や中退について議論し、賛否両論(というか大半が否で、たまに中立くらいなんだけど)思い思いのことを言いました。
中には、「てんてんの考えは分からないけど、勇気を持って決断したことはすごい」とか、「何を思ってその考えに至ったのか、これからどんな人生を経験するのか知りたいと思う」と言ってくれた人もいました。
心無い言葉を投げかけられて結構ちゃんと傷ついたけど(自業自得)、やってみた甲斐はあったかなと思います。

ある人は、「誹謗中傷する人は、君のことが羨ましいんだよ」と言いました。
みんな自由に生きたいと思っているけど、色々なしがらみがあったり、勇気が出なかったりして、それができないと思い込んでいます。
そして、自分ができないと思って諦めたことをやってのける人がいると、その人をズルいとか自分勝手だとか言って攻撃するのです。
攻撃性のほとんどはコンプレックスに起因します。
ある人の考えを要約すると、このようなことでした。
まあ、実際のところどうなんでしょうね。
他人の心の内は分からないけど。

休学では駄目なのか?

さて、心が疲れたのでTwitterをミュートし、震える手を抑えながら「これから」に向き合います。
何度シミュレーションしても、親にどう切り出していいのか分かりませんでした。

母は少々感情的なところがあり、ぼくの話を最後まで落ち着いて聞いてくれないと思ったから、先に父と2人きりで話して、それから母も交えて3人で話すことにしました。

父は教育者なだけあって冷静でしたが、大学を辞めたいというぼくの価値観とは真っ向から対立したようでした。
それもそのはず、父は高校教師で大学受験指導にも熱心でしたから。
ぼく自身もまた、父と一緒に京大の過去問を解き、受験の青春を駆け抜けました。
その思い出が大切だったから、後ろめたい気持ちは強かったです。

↓京大受験の青春

両親に共通した思いとして、「大学は卒業してほしい」というものがありました。
「自立したその先の人生を子どもがどう生きるかは自由で、そこに口出しするつもりはない。
でも、大学を出るまでは面倒みるのが親の役目だと思う」
ということでした。
それはそれで、親の立場としては立派なものだと思います。

「お金持ちになりたいとも、一流企業に入りたいとも思わない」「ビジネスマンの生き方が性に合わない」といったことを、「あなたならそうだろうね」と理解を示してくれました。
基本的には、多くのことに理解のある両親だと思います。
ただ、大学卒業だけば譲れず、そこだけがぼくとの決定的な摩擦だったのです。

大学を中退すると言うと多くの人が言うのは、「休学では駄目なのか?」ということです。
そもそも、休学については4月の時点で両親に打診していました。

↓休学を検討して京都へ

そのとき言われたのは、まず「休学している間、アパートの家賃はどうするのか」。
アパートを離れている間も家賃は支払わなければならず、かといって契約を解除し復学してからまた新しいアパートを借りるのも得策ではありません。

また、「半年休学しても卒業は1年以上延びるかも知れない」ということも言われました。
秋卒業も制度としてはありますが、実際にはかなり詰め込まないと半年のズレで卒業するのは難しいと思います。
なぜなら、通常春に履修する授業を秋に受けられることは少なく、また2年次の必修と3年次の必修を並行して取らなければならないことになるからです。
2年次の必修と3年次の必修が開講時限が被っていて同時に受講できないこともあるし、2年次の単位を取得しなければ3年次の受講資格が無いこともあります。

奨学金は休学中は停止して復学すればまた借りられますが、留年すると資格を失ってしまいます。
そのため、半年休学して1年以上在学期間が延びると、学費の支払いが大きな負担となってしまいます。

主にお金のことですが、休学すればいいと簡単に言っても、実際にやってみると色々都合が悪いことが出てくると思います。
それで、当時は大学を辞めたい強い理由があったわけではないので、色々な事情を考慮した上でまた考え直すことにしたのです。

なぜ休学に様々な懸念点があるかと言うと、それは「大学に戻ってくること」を想定しているからです。
一方で、退学は辞めてしまったらそれっきり帰ってくることはありません。
だからこそ、後腐れなくサッパリ終われるのです。
大学を辞めた途端、奨学金の返済は始まるけど、もうこれ以上学費を支払う必要はありません。
その時点でアパートも解約して、無駄に家賃を払うこともありません。
復学したら遅れを取り返すために必死になるけど、退学したらもう大学のことは一切関係ないのだから新生活に尾を引くものが無いのです。

旅をしていると、休学してバックパッカーをやっているという人に出会います。
彼らは大学や社会に疑問を感じ、レールに沿った生き方を外れる決心をした人達です。
しかし、ぼくが不思議に思うのは、彼らは結局復学して卒業し、就活して普通のサラリーマンになっていくことです。

勿論、普通の進路を歩みたかったけど何かあって躓いてしまった人が、もう一度やり直すチャンスはあるべきだと思います。
しかし、それは、その人がそういう生き方を望んでいる場合の話です。
そこが嫌だと思って離れて、自分の信じる道を行くことで幸せを感じたのに、なぜ一度離れた道に再び戻ろうとするのでしょうか?

しかし、最初から「休学したい」と言うと快く思わないのに、「退学したい」と言うと「休学でいいじゃないか」と言うのは都合の良い話だなと思います。
人は最悪の事態を避けたいものだから、退学のカードをチラつかせれば休学の提案はすんなり通るようになります。
そして、一度休学という段階を踏むことで、次の機会では退学がしやすくなります。

それでもぼくは、今この場で退学を決めなければならないと思いました。
ぼくにとってはもう、今置かれている環境に戻ってくる選択肢は無かったのです。
だから、「休学ではなく退学だ」と絶対に譲ってはならないと思いました。
自分が否定的に思うことにキッパリと「NO!」を貫かなければ、自分の人生を守れないのです。
これは、そうした覚悟を身につけるための試練なのだと思いました。

人生最大の親子喧嘩

日立駅
日立の桜
地元の風景

ぼくはかなり恵まれた家庭環境で育ちました。
それは、家がお金持ちだったり特別な習い事をさせてもらえたり親が有名人だったりということではなく、家族仲が良く温かい家庭で愛されて育ってきたということです。
反抗期らしいこともそれほどなく(全く無かったわけではないですが)、これほど大きな対立をするのはこれが最初で最後ではないかと思います。

話し合いは何日にも渡り、眠れない夜が続きました。
「子育てに失敗した」とか「あなたは自分勝手なんだね」とか傷つくことも言われました。
でも、それも恨むまいと思います。
親というものは我が子が心配だから、つい心にもないようなことも言ってしまうのだと思います。

「沖縄で働きながら生活する」とか「海外に一人旅に行く」とか言えば、それはどんな親でも心配するでしょう。
「そんなことが出来るのか?」と聞かれたら、そりゃあやったことがないのだから、「出来る」と自信を持っては言えません。
出来ないかも知れない、でも、出来るかも知れない。それは誰にも分かりません。
だって、やったことがないんだから。

親は子どもが苦労しないようにと考えますが、苦労をしたっていいんです。
あらかじめ苦労がないように準備するんじゃなくて、苦労する中で生きる術を身につけていけばいいと思います。
そもそも、学校で勉強したって家の手伝いをしたって、実際に社会に出て一人暮らしをしてみなければ分からないものはあります。
そして、自分が求める人生のためならどんな困難だって引き受けようと思うし、それを乗り越えることで人間的に成長するのだと思います。

また、「それがあなたらしい選択だとは思えない」とも言われました。今までの人生を一番近いところで見てきた家族だからこそ、そう思うのも当然ではあります。
なぜなら、今までの生き方を変えて、全くやったことがないことをやってみたいと思ったのだから。まだ実際にやってみていないことを、これからやるのだと説得するのは難しいものです。

親だってリゾバもバックパッカーもやったことがないんだから、偉そうにものを言えるわけではありません。
ただ、長く生きている分、ぼくよりも人生経験があります。
ぼくがまだ歩み始めていない社会人生活を経験しているから、お金や家事、生活のこと、あるいは家庭や結婚などについては参考になるところは多いです。

親に何を言われても自分の進路決定を変えるつもりはなかったけど、その選択をしたときに具体的にどんな困難が付きまとうかはぼく自身では気づいていないところがあったから、アドバイスは素直に聞き入れようと思いました。
また、子どもの無事を祈って幸せを願う親の気持ちも、その想いだけはありがたく受け取りたいと思いました。

最終的には、「鬱」のカードを切ることで親の方が折れました。
退学するくらいなら休学でも留年でもいいから卒業してほしいように、心を病んでしまうようなら大学を辞めてもいいから元気でいてほしいということです。
親には子どもが大事なんです。

これは、本当はあまり使いたくない手段ではありました。
「自分がかわいそうだ」とアピールすることはズルいことだと思ったし、本心としては、鬱になったから離れるために大学を辞めるという消極的な理由ではなく、自分らしく生きるために道を変えたいという積極的な理由で語りたかったからです。

一度は、「好きに生きるというなら、うちはもう経済的支援をしない」「帰って来れる家があると思うな」とまで言われました。

休学したり旅に出たりするような人は、家庭環境に問題を抱えていることが多いです。
ストレスの一番の原因となる毒親からは、離縁してでも離れた方がいいというケースが多いと思います。
しかし、ぼくは「大学を辞める」というその一つの選択においてのみ相容れなかっただけで、今後も関係が続いていくことを願っていました。
お互いに愛があったからこそ、「もうこんな家出て行ってやる!」と突き放した態度を取れなかったことが逆に苦しかったです。

家族とは言え別の人間だから、理解し合えないこともあります。
そして、人はそれぞれ違っていていいのだから、その価値観の溝は埋めなければならないものではありません。
それでも最後には、両親がぼくの考えを理解してくれたわけではないけれど、「あなたが選んだことだから尊重するし、私達は最大限応援する」と優しく送り出してくれました。
自分とは違う理解できないところがあったとしても、相手の存在そのものに対する愛は変わらない。
嫌いになる必要なんてないんです。

本当に素晴らしい家族に恵まれたなと思います。
この家に生まれたから、ぼくはここまで真っ直ぐに育つことができました。
でも、この世の中は正しいことばかりではなく、不誠実なことで溢れています。
両親から教わった優しさや真面目さを貫くのなら、このまま道を外れずに生きることはできなかったのです。

自分の可能性を信じて

旅立ちの背中を押してくれたのは、無二の友人の言葉でした。
「きみはもっと成長できるって、私は信じてるよ」
彼女は一足先に大学を辞めて、沖縄で働いていました。
ぼくは、強くて優しく誠実に生きている彼女を尊敬していて、自分も彼女のように生きたいと思っていたから、その言葉を信じることにしました。

ぼくは人とはちょっと違うところがあって、それは長所にも短所にもなり得ることです。
でも、今までは良いところに目を向けてくれることが多くて、多少欠点があってもそのままの自分を認めてくれました。
それはそれでありがたいことだったけれど、このときのぼくにとっては、「これができるから、あれはできなくても仕方ない」と言われるより、「きっとどっちもできるようになるよ!」と言ってくれることの方が嬉しかったです。
今の自分よりも、もっと成長したより素晴らしい自分の姿を思い描いてくれることが、真摯に自分に向き合ってくれていると思いました。

例えるなら、『僕のヒーローアカデミア』のオールマイトのようなものです。
無個性の何者でもなかった少年に、No.1ヒーロー・オールマイトは断言します。
「君はヒーローになれる!」
それは無責任で根拠のない励ましではありません。
ずっと第一線で活躍してきたオールマイトだからこそ、ヒーローになること・ヒーローを続けることの大変さを理解した上で、緑谷少年のヒーローの素質を確信していたのです。 

誰もがバカにして、親でさえ信じてあげられなかった「ヒーローになる」というデクの夢を、オールマイトだけが後押ししました。
それはとてつもない訓練が必要な茨の道ですが、本人の成長と幸福のためにあえて厳しく突き放し、オールマイトはデクが最高のヒーローになるために全力を尽くすのです。

世の中にはオールマイトのような大人が必要なんだと思います。
子どもの「できる」可能性を信じて、そのために全力を尽くせる大人の存在です。
そのためには、まず大人自身が大成した人間でなければ教えてやることができません。

また、子どもが「サッカー選手になりたい」とか「アイドルになりたい」とか言ったとき、それを全面的に応援できる親は少ないです。
それは、親がサッカー選手やアイドルになるために何が必要なのか分からないからです。
人は、自分が経験したことしか分からないから、やったことがないことについてはアドバイスできません。

だから、ぼくはただ一つの生き方をするのではなく、様々な人生経験を積んで多面的な人間になりたいと思います。
そして、道を迷う誰かを導ける存在になりたいです。

かくして、ぼくは大学を中退し、2023年9月20日、沖縄・小浜島へと飛び立ちました。

小浜島の海にて

いいなと思ったら応援しよう!