【1】筑波大学を中退して旅に出た話①
大学を中退して、沖縄の離島でリゾバをして、海外バックパッカーになるまで。
今回は、筑波大学に入学してから退学するまでのいきさつを書いていこうと思います。
⇩壮大な前置きはこちら
KLiSって何?
2022年4月、筑波大学 情報学群 知識情報・図書館学類に入学しました。
知識情報・図書館学類、前回の総合人間学部以上にヘンテコな名前ですね笑
英略称は、Knowledge and Library Scienceで"KliS"(ケイリス)です。
ここからKliSについての説明をしますが、そこまで重要ではないので読み飛ばしていただいても結構です笑
大事なのは、ぼくが文理融合()を謳っているよく分からない学科にいたということと、そこで「知識」というものとどう関わるかを考えていたということです。
KliSは全国でも数少ない図書館情報学を専門とする学科です。
(ちなみに、筑波大学では学部・学科のことを学群・学類と呼びます。
領域横断的な学びを重視していて、一般的な学部・学科編成とは少し違っているようです。)
では、この「図書館情報学」とは何かと言うと、少し説明が複雑なんですが(^_^;)
元々、図書館のあり方を考える「図書館学」という学問があって、これがインターネットの普及によって生まれた「情報学」と結びつくことで「図書館情報学」となりました。
かつては知識(主に書籍)を所蔵するものは専ら図書館でしたが、インターネットによって情報に容易にアクセスできるようになり、図書館のあり方も変革を余儀なくされています。
その流れの中で、図書館の本質的な役割は知識の伝達と共有にあると考え、その現象を従来の図書館の枠組みに囚われずに追究していこうとする立場から「知識情報学」という新しい学問が提唱されました。
その最前線がKliSなのです。
では、具体的にKliSが何をやっているかと言うと、まず3つの主専攻に分かれます。
知識科学主専攻、知識情報システム主専攻、情報資源経営主専攻の3つです。
「図書館について勉強するんでしょ?」と思われがちですが、実は意外とそうでもなく(^_^;)
知識の伝達と共有は、主に「図書館」、「インターネット」、そして「人間同士のコミュニケーション」によって行われます。
ざっくり言うと、この「図書館」について考えるのが情報資源経営、「インターネット」について考えるのが知識情報システム、「人間同士のコミュニケーション」について考えるのが知識科学という感じです。
KliSには全国から図書館オタクが集まってくるので、勿論、図書館司書や司書教諭(学校の図書館の先生のことです)、大学司書を目指す人も多いのですが、ただ「図書館で働きたい」というだけなら、正直言って大学で専門的に学ぶ必要はないのです。
普通に司書の資格を取ればいいし、図書館には非正規の職員も多いです。
図書館というと知的なイメージがありますが、実際には高学歴の人が図書館に勤務することはあまりなく、比較的所得の低い職業です。
図書館情報学を修める目的は、図書館の現場で働くことよりも、新しい図書館のあり方を模索することにあります。
例えば、自由にコミュニケーションを取れるスペースを設けたり、生涯学習を支援したり、地域コミュニティに参画したり、あるいは書籍をデータベース化したオンライン図書館なども作られています。
KliSでは、日本の常識とは全く異なる欧米の斬新な図書館についても知ることができて、これはなかなか興味深いです(^^)
一方で、知識情報システム主専攻では、例えば「便利な検索ツールを作る」などといったことをしています。
インターネットによってあらゆる情報にアクセスできるようになりましたが、Googleの検索窓に名称を打ち込んで検索するためには、まずそれについてある程度知っていなければなりません。
そこで、利用者の「上手く言えないけど、こんな感じのものが欲しい」というニーズに応えるために、どのようなソフトウェアがあればいいかと開発がされています。
そして、知識科学主専攻では、「そもそも知識とは何か?」ということを考えます。
例えば、ある文章を読んだときの感想や解釈が、AさんとBさんで違っていたとしましょう。
このとき、AさんとBさんが得た知識は同じものと言えるのでしょうか?
また、その知識とは、元の文章の中にあるものなのでしょうか、それともAさんやBさんの頭の中にあるものなのでしょうか?
このように考えると、人間が認識する世界は、その人が持っている知識や経験、価値観によって左右されることが分かります。
また、知識について考えることは、認知科学や哲学的な認識論にも繋がってきます。
このように、一見するとニッチな領域に見えて、実は様々な学問領域と関わりがあるのもKliSの面白いところです。
前回の記事を読んだ方は何となく察しがつくかも知れませんが、ぼくが希望していたのは知識科学主専攻でした。
それと、色々勉強してみて分かったのですが、ぼくは図書館にも情報にも特段の興味があるわけではありませんでした。
この知識情報・図書館学類というヘンテコな場所で、ぼくという人間は一層浮いた存在でした。
出会いは1件のDMから
大学に入学する頃、Twitter(現X)を始めました。
自分が日常の中で徒然に思うことを世の中に発信していきたいと思ったからです。
入学してから分かったことですが、筑波大学ではTwitter界隈が盛んでした。
Twitterを使って授業やサークル、イベントなどの情報を仕入れたり、交友関係を広げたりします。
それは手段としてのみならず、Twitter自体が一つのコミュニティなのです。
Twitter上でのみやり取りをする人もいれば、Twitterで繋がった人とリアルで会うこともあって、改めて見つめ直すと奇妙なコミュニティだと思います。
5月。京都大学から入試の成績開示が届きました。
ぼくが「落ちた」大学の入試の点数が分かるものです。
一方、TwitterのTLには、数学や物理が満点近いとか、京大の超高得点合格者の画像が流れてきて、、、
しょうもないことなんだけど、結構精神的なダメージを受けましたね笑
そんな頃、1件のDMが届きました。
「てんてんさんの言葉の感性と学びに対する直向きな姿勢に惹かれます。
私も元々は東大志望で1年浪人して、紆余曲折あってKliSに来ました。
もしかしたら力になれることがあるかも知れないので、よければお会いしませんか?」
同じ学科の人で、顔と名前は一致しなかったけど、名前には聞き覚えがありました。
その人は、Twitterでは自作の短歌を投稿していて、ぼくは詩歌には明るくないのだけれど、いい感性をしているなと思ってよくツイートを見ていました。
大学の講義が終わった後、駅前のサイゼリヤで待ち合わせ。
まずはお互いに自己紹介をしたのだけれど、彼女はかの女子校トップである桜蔭出身で、鉄緑会に通い東大受験したという、大変育ちがよろしいようで(^_^;)
しかし、成績優秀でありながら、どうしても東大には行きたくなかったようです。
それは、周囲に先生やOGなど東大を出た人がたくさんいて、また同級生もその多くが東大に行く中で、「この人たちと同じ生き方をしたくない」と思ったから。
東大や京大を出たからといって立派な人間だとは限らないとはぼくも思っていたけれど、ぼくは知り合いに東大生や京大生がいなかったから、それでもきっと学びに真摯な人が多くいるはずだと信じたい思いがありました。
そこがぼくと彼女の大きな違いだったと思います。
恐らく彼女には東大に合格するだけの実力があったのだと思いますが、「このまま東大に進学していいのか?」と思い悩んで不眠症になり、気持ちの整理のつかぬまま受験本番を迎えたようです。
浪人中は予備校の授業を受ける傍ら国立国会図書館に足を運び、様々な本を読んで正しい教育のあり方を考えたり、古典的な思想に生きる意味を見出そうとしたりしたそうです。
そこで、彼女は、歌を詠み旅に生きた西行や松尾芭蕉への憧れが自分の原点にあったと思い出し、自分もそのように生きたいと決意しました。
だから、本当はどこの大学にも行きたくなかったようですが、親と学校と予備校とに猛反発され、東大ではない大学に行くということに落ち着いたようです。
そんな彼女の話を聞いて、ぼくの京大不合格のコンプレックスは吹き飛ばされるようでした。
ぼくらの話題は色々なところに及びました。
学びとは何か、教育はどうあるべきか、自分らしく生きるということ。
彼女と話して、ぼくは初めて自分と同じタイプの人間に出会ったと思いました。
その感動は今でもまざまざと思い出されます。
ぼくらは夢中になって、気づけば4時間以上もぶっ通しで喋っていました。
(いつまでも居座ってごめんね、サイゼリヤの店員さん🙏💦)
ぼくも彼女も一浪して筑波大学に進学したのは予期していない偶然のことでしたが、ぼくが京大に求めていた本当の仲間は期せずして筑波にいたのです!
学問はオムレツの片隅に
それから親しくなったぼくらは、一緒に学園祭を周ろうと約束しておいて、結局学園祭には行かずに近辺の道を歩いたり、公園のベンチで日が落ちるまで語り合ったりしました。
短歌を嗜んでいるだけあって彼女の自然に対する感性には光るものがあり、一緒に歩いていると世界が変わって視えました。
彼女は、物事に対する深い洞察と思慮を持った人でした。
話をしていると、本当に多くのことに気づかされます。
ぼくの大学での一番の思い出は彼女と一緒に過ごしたことで、ぼくのキャンパスライフは大学構内というよりも大学から駅までの道にこそありました。
理想の学び舎というのは、東大でも京大でもなく、どこかの学校や場所を指すものではないのです。
日々をどのように生きて、友人とどのように関わるかという姿勢にこそ、本当の学びがあるのです。
当時、ぼくは一人暮らしで生活費をバイトして稼いでおり、余裕のない生活をしていました。
そんなぼくを見かねて、彼女が手料理を振る舞ってくれたこともありました。
食事をしながら教育や社会、芸術について話した後、彼女は笑ってこう言いました。
「本当の学問は、オムレツの片隅にあるようなものだよ」
彼女の旅立ち
入学から1年、2023年の4月に彼女は沖縄へと飛び立ちました。
親には前もって何も打ち明けず、ただ1枚の置き手紙だけを残して。
東大に落ちて、自分は芭蕉のように世俗から離れて生きるんだと決めたとき、彼女は親元を去る意思を真っ直ぐに伝えたようです。
しかし、そのときは「勉強しすぎて頭がおかしくなったんだ」と、まともに取り合ってもらえず。
それで、彼女は、自分と両親との価値観の違いを理解してもらうことを諦めました。
彼女の母親はいわゆる毒親で、教育費を注ぎ込んだ分、子どもが自分の満足するように育つことを求めていました。
我が子かわいさからか、GPSで常に行動を監視して、カラオケなんて治安の悪い場所(笑)に行こうものなら鬼のように電話してきました。
それも本人は愛だと思っていたのでしょうね。
自由の身に生まれ変わるためには、そんな母親の元から離れなければならないと彼女は思い至ったのです。
ぼくは彼女の家出の計画を聞いていたけれど、その方が彼女の幸せのためだと思ったから、決して止めることはありませんでした。
最終的に彼女は大学を辞めることになるんだけど、当初は退学も休学も手続きせずに、ただ全ての授業の履修を取り消すという大胆な行動でした。
親から同意を得なければ、休学届も退学届も受理されないのです。
そして、相談すれば反対されるのは目に見えています。
彼女は、小浜島という沖縄の離島で住み込みの仕事を始めました。
リゾートバイト(リゾバ)といって、常に人手を求めている観光業は、寮費無料の部屋と食事の賄いをつけて、短期契約で派遣社員を雇っています。
彼女のように毒親から逃れて一人暮らしをしようとする人、サラリーマン社会に精神を擦り減らして別の生き方に転身しようとする人など、様々な事情や背景を持った人がリゾバに流れ着いてきます。
また、短期雇用で、しかも、沖縄や北海道のような観光地での仕事なので、一つの場所に留まらず色んなところに旅行したいという人にも需要があります。
リゾバの詳細についてはまた改めて。
彼女が沖縄の地を選んだ理由は、本州と物理的な断絶があり、そう簡単には親が子を連れ返しに来れないからです。
親との関わりを物理的に断とうとしたのです。
彼女は遠く離れた沖縄の地で、生まれて初めての本当の自由を謳歌していました。
美しき青い海を背に。
ぼくはSNSを通じて彼女の姿を眩しく見ていました。
そして、同時に問われているのでした。
「お前はどう生きるのか」、と。
いつも一緒に授業を受けて、駅までの帰り道を一緒に歩いた彼女はもういない。
孤独になって、それでも自分は大学に残る理由があるのか。
大学は、ぼくが求めていたほど素晴らしいものではなかった。
現状に100%満足しているとは言えない。
しかし、かといって、ぼくには彼女のような、学歴主義に対する深い絶望や嫌悪も、離縁を考える程の家庭の不和も無かったのです。
現状を否定する程の決定的なマイナスが無かったのです。
元々が勉強が好きで大学もそれなりに楽しんでいたし、家族との関係もうちは自慢できるくらい健全で良好でした。
そこで、自分が大学に通う価値を真剣に見定めなければならないと思いました。
今までは彼女と一緒にいられればそれでいいと、他のことを疎かにしてきたけど、それ以外に自分は大学に意義を見出だせるのか。
それを判断するために、それまでとは違って積極的に行動してみるようになりました。
今まで見送ってきたイベントにも参加してみて、交友関係も広げる。
やれることは全部やってみる。
……ちょっと長くなり過ぎたので、続きはまた次回。
ここはまだ前提のお話なので、さっさと終わらせて旅の話をしたいんですけどね(^_^;)
以上、「『彼女が』筑波大学を中退して旅に出た話」でした。
次回は、「『ぼくが』筑波大学を中退して旅に出た話」をお届けします笑