河合隼雄 松居直 柳田邦男『絵本の力』
福音館書店編集部で月刊『こどものとも」を創刊するなど、数多くの絵本を手がけ、日本の絵本の発展に大きな功績を残した松居直が11月2日に亡くなりました。今回は彼の追悼の意を込めて、本書を取り上げたいと思います。
本書は小樽市の「絵本・児童文学研究センター」が2000年に主催したシンポジウムを基にしてつくられたもので、河合、松居、柳田それぞれの講演と座談会が収録されています。
「絵本の中の音と歌」をテーマにした河合や、自身の体験を基に、大人こそ絵本をと呼びかける、「いのちと共鳴する絵本」と題された柳田の講演も興味深く読めますが、本書で私がもっとも面白く読んだのは松居の講演や座談会の中での彼の発言でした。
その理由としては、松居が2人と異なり絵本のつくり手側であるということがあげられます。河合や柳田の絵本に対する考えは私に近いところがあるので、共感を持って読めるのですが、反面新しい発見には乏しいところがあります。その点、長年絵本を届けてきた立場から述べられた松居の話には、私がこれまであまり深く考えてこなかったことや、知らなかった知見が多く含まれていて、刺激を受けました。
松居の絵本に対する考えは、以下の言葉に端的に示されています。
「私は絵本の編集者になって、絵本は子どもに読ませる本ではないという編集方針を第一番に打ち出しました。じゃ、なんですかといわれたとき、大人が子どもに読んでやる本ですと。いまでもその考え方は変えていません。絵本は子どもに読ませる本ではない。大人が子どもに読んでやる本です。」
なぜ子どもに読んでやることが大切なのか。松居のよると、大人は絵を「見る」のに対し、「子どもたちは絵を読む。絵の中にある言葉を読む」からです。
「子どもの中に見えている絵本の絵は、生き生きと動いている。耳から聞く言葉が絵をどんどん動かし、広げていきます。そういうふうにして子どもは絵本体験をする。自分で絵本の物語の世界をつくる体験をする。そういう体験が実は絵本の本質に触れることです」
松居がこの考えに至ったのは、自身の少年時代に、絵はもちろんですが、能に接したことや、「平家物語」などの古典を朗読していたことが大きいでしょう。自身の古典体験から、松居は絵と音が織りなす魅力のみならず、日本の絵本のルーツを「鳥獣戯画」などの絵巻物に求める史観を培ったのです。
松居の絵本の捉え方はこのようにスケールが大きく、例えばエッツの名作絵本「もりのなか」にホイジンガの名著「ホモ・ルーデンス」との深い関わりを見出しています。こうした視野の広い思考が、編集者としてこれまで手がけてきた、具体的な絵本についてのエピソードを交えて語られるのですから面白くてないわけがありません。
座談会の中で、松居は今の日本の状況を憂いた発言しています。座談会が開かれたのは2000年ですが、20年以上経た現在も、私たちが考えていかなければならない問題だと思います。
「今は子供たちの言葉の体験があまりにも貧しい。耳でちゃんと言葉を受け止めるということ、声の言葉を受け止めていませんでしょ。…だからこそ今大人が子供に語らないといけない。…私は人と人が共に居る体感として絵本を読んでやってほしいと思うんです。共にいるという、いちばん大きな人間的体験を子供の時にして、そして耳からちゃんと言葉を聴いて、言葉の世界に自由自在に入り込んでいく、そういう力を持っている子供が文字を読むという技術をマスターすると読書ができる。今は文字を読む技術だけ教えんるです。だから読書ができない。」