東畑開人「居るのはつらいよ:ケアとセラピーについての覚書」
臨床心理学を学び、博士号を取得して大学院を卒業した著者の東畑さんは、院にとどまることを良しとせず、臨床心理士として就職することを望みます。
ところが待っていたのは、就職難という現実。セラピストとして働くことができ、かつ妻と子どもを養うに足る収入のある就職先がなかなか見つかりません。ようやく、見つかったのは沖縄のデイケアセンターでした。この本は、若き日の東畑さんがそのデイケアセンターに飛び込んで過ごした日々について回想したものです。
セラピストとして、苦しんでいる人を助ける力になりたいという意欲に溢れていた東畑さん。ところが赴任して早々に指示されたことは「まあ、とりあえずそこに座っていてくれ」でした。「メンバー」と呼ばれる入所している人たちのそばにいながら、セラピストとしての腕をふるうこともなく、やることといえば、麦茶を入れたり、ゲームに興じたり、昼休みに野球をしたりするだけの日々。
ただ「居る」だけの日々に当初は馴染めなかった東畑さんは、あるときひとりのメンバーにカウンセリングを施しました。善かれと思ってやったことでしたが、それはかえってその人の心の傷を深める結果となってしまいます。
こうした失敗体験を踏まえ、東畑さんは「ケア」と「セラピー」の違い、それぞれの重要性について思索を深めていきます。本書は時に専門書の引用を交えながらも、東畑さんの思索の軌跡が軽妙な文体で書かれています。「ケア」は傷つけないこと、日常を守ること。対して「セラピー」は傷つきに向き合うこと、自分を変えていくこと…etc。
ただ「居る」ことは日常の円環的な時間を保ち、安定をもたらすための重要な営みなのでした。
こうした日常を送っている「メンバー」たちや、東畑さんの部長や同僚たちのユニークな個性が生き生きと描かれてるのが本書の一番の魅力です。徐々に他人との関わりができるようになり、最後はスクーターに乗れるまでに快復したメンバーや、女性のメンバーや看護師に次々に惚れて失恋を繰り返すメンバー、好々爺然としながら、クリスマスパーティーなどのイベントにはトレンディ・エンジェルの如く自身の頭髪をネタにして盛り上げる部長や、野球好きが高じて昼休みになるとメンバーや所員を引っ張り出して野球の猛特訓を行う同僚などの存在によって、笑いが絶えない日々が描写されていきます。
しかし、それはあくまで明かるい面にすぎません。常に笑いが絶えない場所にもかかわらず、
本書の後半では同僚や部長が次々とセンターを去っていきます。わずか4年の間に、東畑さんが最古参の所員となってしまうのです。そしてついに東畑さんもここを去る決心をするのでした。
やはり、ただ「居るのはつらいよ」なのです。そのつらさをもたらしているのは何か?本書の最終章はその考察にあてられています。東畑さんが出した答えについてはぜひ実物を手にとって確認してください。
特殊な状況にある特殊な場所を描きながら、読者それぞれが「他者との関わり」について見つめ直すことができる好著でした。
本書に関する東畑さんのインタビューはこちら↓
この学術書は「誤読」されたがっている 社会に「ただ、いる、だけ」の居心地の悪さを考えた「居るのはつらいよ」
https://book.asahi.com/article/12303131