筒井康隆『驚愕の曠野』
この長いながいお話、とうとうこんなに読んできてしまいました。・・・どうやら「おねえさん」が子供たちに読み聞かせをしているようです。ふむふむと肯いてページを繰ると、いきなり「第332巻」とあるのに驚かされます。どれだけ長いお話―それもようやく半分近くまでいったという長さ―を読んできたのでしょうか。しかも物語の舞台は荒涼とした世界で、登場人物は絶えず裏切りや暴力におびえ、巨大な蚊になやまされながら生きているのです。こんな殺伐とした物語を子供に読み聞かせてよいのでしょうか。そもそも話の発端はどうなっているのでしょうか…。
戸惑いを抱えたまま物語の途中に突然投げ出された読者はとりあえず舞台となっている世界の特徴を記述の中からすくい上げて推測していくしかありません。「十八神将」「武祉摩天」「需妥仏」「五英猫」とはいったい何なのでしょうか。仏教に関係があるのでしょうか。戸惑いながら第334巻巻まで読み進めていくと、途中で「おねえさん」が死んでしまって、別の子どもが代わりに読み手となっていたことが分かります。さらに読者はこの物語世界が特異な層構造となっていることを見出していくのですが、「おねえさん」と子供たちとおぼしき白骨が発見される記述に至って、読者はどこまでがこの物語の「外」でどこからが物語の「内」なのかが判然としなくなっています。小さな物語が大きな物語を飲み込み、物語の「外」から語っていたと思っていた語り手がいつのまにか物語の「内」に取り込まれ・・・まるでメビウスの輪のような始まりも終わりもない物語世界に読者は入り込んでいくのです。
物語はやがて巻の体裁すらなさなくなり、ページだけ、断章、さらには数文字の言葉だけとなっていくのですが、こうした細切れになった乏しい情報の中から、より深い物語世界の奥をのぞき込めるようになっているのが見事なところです。実験的でありながらも読者を置いてけぼりにしないのが筒井流。200頁に満たないヴォリュームながらも、ボルヘスなどに通じる入れ子の構造に、仏典のパロディ、説話、転生譚などの東洋的ファンタジー要素をまとわせることによって、単なる知的遊戯に終わらない味わいとたっぷりした読み応えを実現した、筒井康隆さんの代表作のひとつだと思います。