最近の記事
マガジン
記事
- 再生
「somo somo! ラジオ」 第8回「『友だち幻想』を読んで思うこと」
巷で話題の「哲学対話」を、哲学シロウト達が実践するラジオ。一つのテーマを掘り下げて考えます。 【タイムテーブル】 〜4:00 オープニング 〜30:15 「友だち幻想」を読んで思うこと 〜31:18 エンディング 【出演者】 編集長 ふく ご意見番 もく 【リンク】 「友だち幻想 ――人と人の〈つながり〉を考える」書評 https://www.philosophy-ch.com/book/detail/17 もく:人との距離感を保つ「並存性」が大事だと書いてあるけど、人間関係は自分自身が傷つきながら学んでいくものでは?そういう過程を経ることで、長い人間関係が紡げると思っている。自分のやり方プラスこの本のやり方が自分の中にあればもっと広く人間関係を築けたのかなとも思うけど。 ふく:価値観が多様化する中で、修復不可能になるくらい傷つけあってしまうくらいなら、距離感のある人間関係から始めるのはとてもいいことだと思う。 人と違って当たり前という価値観を共有できればいい。 もく:現状でも同質性を求めてしまうけど、それがいじめにつながることがある。 ネット等でこういう外の世界の情報を取り入れつつ、でも一生の友達は学校でできるということをわかっていけたらいいのかな。 友達100人できるかなって言うのは日本だけ?良い部分も苦しめてる部分もあるかもしれない。個人的にはノリよく生きる「フィーリング共有関係」だけとかやめてほしい(笑) ふく:俗に言う「空気読め」ってことですよね。(笑)ついて行くの大変だったなー。 もく:高校になってそういうの無くなったから居心地良くなったよ。 ふく:それはどうして? もく:空気をどうこう言うやつはいなかったと思う。みんな一緒にとかなくて、誰がどうつるもうが勝手だったし。いい意味で他人を気にしない雰囲気。 ふく:そういう空気ってどうやって作られるのかな?学校の文化?校風? もく:言葉にするのって難しいけど、小中だと家も近くて、親同士も顔見知りで、縦割り班みたいなのがあって、そういうのの影響って大きかったんじゃないかな。高校になるといろんなところから来ていて、そういうの一切なくなったから。 ふく:いい意味で距離感があったのかな? もく:そうね。違いがあったんだろうな。 逆に田舎育ちのふくさんはどうだったんですか? ふく:高校はちょっと個人主義的な空気があって、いじめとかも全然なかった。「高校になっていじめなんかするの?」みたいな空気もあった気がする。でもどこからその空気が生まれてくるのか不思議。自分の主観だけど、逆に大学はいろんなところからやってきているのに、同質性を求めることが多かった気がする。みんな良くも悪くも真面目だったかな?真面目に「社会の伝統に追従しなきゃ」みたいなところがあったのかも。 もく:真面目だからこそ「友達100人できるかな」も守ろうとするのかもね。一緒じゃないといけないみたいな。 ふく:親もそういうことを言ってるかもしれないしね。「みんなと仲良くしないとだめよ」っていう風に。小さい頃は親の言ってること、やってることが全てだし。もちろん良い面もあるけど。 もく:親もそうだし、小さい頃は学校という世界が全てだもんね。 ふく:学校でだめだったらどうしようもないから頑張って空気読むというところはあるかもね。ある程度逃げ場がある方がいいのかなって思う。 もく:馴染めない子がいると思うと、「並存性」って大事なのかな。大多数の側がそれをわかるようにしておかないといけないのかな。 ふく:たまたま自分が大多数の側にいたとしたら分からないと思うね。 もく:学校がそういう雰囲気を作っていかないといけないね。 ふく:大人がそういう空気を作るしかないと思う。間接的な言葉でも。些細な言葉から。 最後に。「そもそも友達ってなんだろうね。」どこからが友達? もく:今おっさんになって明確になったかな。会いたいと思うかどうか。これはほぼ言い切れる。でも学生生活は難しいよね〜(笑)「あいつ友達って言ってなかったぜー」とかなると大変(笑)ふくさんは? ふく:一緒かなあ。うーん、自分で言っておきながら難しい問いですね(笑) 【ふくの編集後記】 本の中ではみんなが自由で気持ちよく過ごすための方法として、規則(ルール)が挙げられていたが、その空気を醸成することも大事だと思う。それを作るのが大人であり、私たちの日常の言葉一つ一つなのではないか。一朝一夕に成るものではないと思う。