#5 自分だけが価値を感じるものを探してみる(渋谷・原宿)|写真とひとり散歩
カメラを持っていると、普段は億劫な歩くという動作が途端に楽しくなる。
こうして前回の代官山からの散歩は、原宿まで続いた。
お供は、SIGMA fpだ。
渋谷は絶賛都市開発中
今の渋谷でまず見られるのは、クレーン車などの重機だ。
渋谷はどんどんと変わっていく。
この開発中の景色は一過性のものなので、建設が終われば見られない。
存分に写真を撮って、今を残すことにした。
暗渠ってなんて読む?
そういえば、最近新しく知った単語がある。
それは「暗渠」だ。「アンキョ」と読む。
これを一発で読める人は、元々この単語を知っていたか、漢字や歴史に造詣が深い人だと思う。
そもそも、暗渠とは何か。
Wikipediaによると「地中に埋設された河川や水路のこと」と説明されている。
少し強引だが、人工的に隠された河川や水路と理解してもいいと思う。
では、なぜいきなりその話題になったのかというと、新しく知った単語を自慢したいのではなく、渋谷には「渋谷川」という川があり、上流は暗渠になっているらしいのだ。
この交通量が多い道路の下を、川が流れている。
それは、一体どんなものなのかと想像を巡らせる。
徳川埋蔵金のような分かりやすく魅力があるものではないが、私と同じようにワクワクする人もいるだろう。
地図を持って暗渠巡りをしても楽しいのかもしれない。
宝探しに出かけよう
ガラス張りのビルから、地上を見下ろしていたが、そろそろ街に繰り出そうと思った。
しかし、スクランブル交差点の人の多さは、異常だ。
人酔いする自分は、少々気合いを入れなければならない。
人通りの多い方向に向かい、ゆっくりと歩いていく。
周りに合わせてあまり速く歩くと、何かを見逃しそうだ。
誰も気にしていないような素敵なものを見つけたい。
カメラを持ち出したひとり散歩は、さながら宝探しの感覚に近いのだ。
だが、この宝探しは少し曲者で、自分が魅力を感じるものでも他の人が同じとは限らない。
まさに、先に出した暗渠の話と似ている。
私は、よく地面に落ちているものが面白いと感じて撮影するのだが、他人から見ればそれはどこからどう見てもただの「ゴミ」なのだ。
カメラの先にある被写体を覗き込んだ人たちのあからさまにがっかりする顔は、もう何度も見てきた。
カメラで写すほどなら何かとても良いものがそこにあるはずだと期待する人がほとんどで、まさか「ゴミ」や「雑草」といった無価値なものだとは思わないようだ。
だが、それが不快だとか、わかっていないだとか、そういうつもりは毛頭ない。
むしろ、性格がすこぶる悪く、いまだに厨二病を患っている私は涼しい顔をしながら、自分だけが見つけた事実に内心ほくそ笑んでいるのだ。
「おそろしく面白いもの、オレでなきゃ見逃しちゃうね」
(元ネタがわからない方は「見逃しちゃうね」で検索してほしい)
街の様子を見るのは楽しい
公園通りを流れに沿って進んでいく。
どうやら、イベントが開催されているらしく、野外ステージからは音楽が聞こえてきた。
おそらく、多くの人で賑わっているのだろう。
また、気合いが必要だ。
さまざまな人間関係を気兼ねなく観察しながら、進む。
代々木公園での多様性
渋谷方面から代々木公園へ入るとすぐにバラ園があり、その奥には噴水がある。
代々木公園のシンボルのような場所だと思うが、改装中らしい。
噴水でシャッタースピード別にテスト撮影をしようと思っていたのだが、残念だ。
噴水のエリアが閉鎖されているからか、人の密度がいつもより高いように感じた。
代々木公園は、多様性を具現化したような場所で、踊っている人、縄跳びをしている人、ランニングをしている人、寝ている人、そしてホールケーキを食べている人と、各々が自由に過ごしている。
そして、私も代々木公園の多様性を形成するひとりだ。
相変わらず、気になるものを見つけては、しゃがみ、覗き込み、立ち止まり、撮る。
それでも、よっぽどでなければ批判をされることはない。
なんとなく、渋谷や原宿という街の懐の深さを感じながら、原宿を後にした。
📷SIGMA fp
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?