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「失敗」って、そんなにダメなことなのか? 〜H3ロケットの打ち上げ失敗に思うこと〜
「失敗」とは何か?
方法がまずかったり情勢が悪かったりで、目的が達せられないこと。
物事をやりそこなうこと。方法や目的を誤って良い結果が得られないこと。しくじること。
物事をしそこなうこと。やり方、方法などを誤って目的とはちがった結果になること。しくじり。やりそこない。
2月17日に打ち上げ予定だった、JAXAの次世代主力ロケット「H3」の試験1号機が、発射直前に突然打ち上げ中止となった。
その後に行われた会見での、JAXAのH3プロジェクトチームプロダクトマネージャと記者とのやりとりについて波紋が広がっている。
かたくなに「失敗」と認めようとしないJAXAの担当者。
それに対し、どうしても「失敗」と言わせたい記者。
この「失敗」という言葉をめぐっての攻防、なんだか滑稽だった。
記者の最後のセリフ「わかりました、それは一般に失敗といいます。ありがとうございます」は、ちょっと言いかたがマズかったかもしれないが、それまでの発言に関しては決して間違っていない。何の問題もない。ごく普通のやりとりだったと思う。
そんなことより私は、JAXAの担当者がなぜそこまでかたくなに失敗を認めようとしないのかが気になった。
技術者としての志も、一大プロジェクトゆえ容易に失敗と言えないという事情も、なんとなくわかるのだけれど。
制御用機器が検知した異常については原因究明中であるとのことだ。
原因もまだわからないのに、なぜ失敗じゃないなんて言い切れるのだろう。
今回は目的を達せられなかったのだから、失敗だ。
失敗の対義語は、成功である。
「成功」していないのだから、
「失敗」で正しいと思う。
曖昧な表現が大好きな日本人らしいなと思った。
なんでもかんでも曖昧になんとなくやり過ごそうとするのは、日本人の悪いところだ。
あえて遠回しな表現をすることで、ぼんやりとやわらかくしてごまかすことができる。それは場合によっては利点でもあるけれど。
多様な言い回しが存在するのも日本語の趣深いところ。
だからこそ、日本語は正しく遣いたいなと思う。
「ロケットの打ち上げ自体は完了していないので、その点については我々は失敗とは捉えていません。ですが、ロケットの発射ができなかったという点については確かに失敗と言えるかもしれません」
こんな感じのやりとりができていれば、おそらく丸く収まっていたのではないかと思うし、ずっとカッコよかったと思う。
記者がイラつく気持ちも、わからないではないな。
ITエンジニアのお仕事で例えてみる
私の話で恐縮なのだけれど、私はITエンジニアとして長らくシステムの構築や運用保守の仕事に携わってきた。
たとえば、日常のバックアップ運用でいうと……
バックアップが「成功」しなかった場合、つまり正常に完了しなかった場合には、バックアップが「失敗」したと表現する。
ちなみに、エンジニアはバックアップが作動することを「バックアップが走る」、バックアップが失敗したことを「バックアップがコケた」なんてふうに言う。
バックアップが正常に動作しても、想定したデータがストレージに格納できなければ、バックアップが「成功」したとは言わない。それは「失敗」だ。
ロケットとITのシステムをいっしょにするな!
なんてお叱りを受けるかもしれない。
しかし、これはたとえばの話。ここではどうかこれ以上はツッコまないでいただきたい。
たとえば、をもうひとつ。
前回『アスペルガーな私のやらかし人生 〜私が発達障害と診断されるまで〜』で書いたが、私の発達障害の特性が表面化したことで、仕事でたくさんやらかしてしまった。その結果、多くの人に迷惑をかけることになった。
しかし、仲間のフォローによって無事にプロジェクトは完了。
ITエンジニアにとって最も怖いことは、顧客の業務に影響が出てしまうこと。規模によっては損害賠償モノだ。
幸いなことに、私のやらかしによる業務影響は出ていない。
では、これは「失敗」ではなかったと言えるか?
果たして、私のやらかしは許してもらえるのか?
いやいや、まさか。
世の中、そんなの通るわけがないよね。
システムの納品という最終目的は達せられたが、そこに至るまでのプロセスに問題があった(つまり「失敗」した)ため、原因を究明して問題を改善する必要がある。
こういうのが、ごくごく普通の反応になるのだろう。
この失敗があったからこそ、私は自分が発達障害であることに気づくことができた。
失敗を認め受け入れないことには、人は前には進めない。
私はそれを身をもって経験した。
今回の騒動で垣間見れたものは
そもそも、「失敗」ってそんなに悪いことなのだろうか。
なぜ、「失敗」と言ったらダメなのだろうか。
なぜにここまで、「失敗」というワードに人々は敏感に反応し、こだわるのか。
「失敗は成功の母」
「失敗を怖れず挑戦せよ」
とか言うくせに?
あぁ、あれってただの綺麗ごとだったんだ?
そう、もはや表現のしかたの問題ではないのだ。
そんなのはもう、どうでもいい。
「失敗」とでも「中止」とでも「延期」とでも何とでも、好きなように言えばいいじゃないか。
日本人がいかに「失敗」というワードに対してネガティブな感情を抱いているのか。今回の騒動でそれが垣間見れた。
それが非常に興味深かった。
失敗が怖い。
失敗したくない。
失敗はマイナス。
失敗はしちゃいけないものだ。
失敗するのは恥ずかしいことだ。
世の中は、そんなふうに思っている弱い人たちでいっぱいなのだ。
ネットでの反応に嫌悪感
SNSでは、こぞって記者を叩いている。
インフルエンサーがそれを煽るかのように便乗したために、火に油を注ぐかたちになり、そんなコメントばかりがあふれている。
このような風潮に、私は嫌悪感を抱かずにはいられない。
あぁ、なんて日本人らしいんだろう!
誰かを悪者にするのが大好きな日本人!
ネット上の反応をすべて確認したわけではないのだが、少なくとも私が見た限りでは、私が抱いた感情と似たようなものを持った人を見つけることはできなかった。
しかし、私と同じタイプの方もきっと多数存在していると信じている。
このニュースを耳にして、なんかもやもやした。
なので、書かずにはいられなかった。
書いているうちに、自分の意見を上手く主張できているのかどうか、ちょっと不安にもなった。
あぁ、日本語ってむずかしい。
だからこそ面白いんだ。
私は、美しい日本語が大好きだ。
そんな日本語を美しく遣える人でありたい。強くそう思う。
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