1分で分かる「寒天と隠元隆琦」
こんにちは。遠藤霜空です。
煎茶道 黄檗売茶流 準師範、日本茶インストラクターとして活動しています。
今回のnoteでは、寒天の起源と隠元隆琦の関係について1分でお伝えいたします。
寒天の起源
寒天は、和菓子作りに欠かすことのできない食材の一つです。羊羹やあんみつ、金錦など、寒天を使用した和菓子が多くあります。
天草などの紅藻類の煮汁を冷やし固めてトコロテンを作り、トコロテンを凍らせて乾燥させたものが寒天です。
寒天の起源は江戸時代、1650年頃の冬にさかのぼります。
京都の旅館「美濃屋」の主人、美濃屋太郎左衛門がトコロテンを戸外に捨てたところ、夜中に寒さで凍り、日中になると日差しで溶けて水分が抜け、数日後に干物状になっているところを発見しました。これを煮溶かして冷やし固めてみたところ、磯のにおいが消え、透き通ったトコロテンができあがりました。これが寒天の始まりです。
「寒天」の名付け親、隠元隆琦
「寒天」という名前は、江戸初期に隠元隆琦によって付けられました。
隠元隆琦は、中国出身の僧で、黄檗宗の大本山・萬福寺(京都・宇治市)を開山しました。
また、煎茶の前身となる「唐茶」やインゲン豆、木魚、明朝体等も隠元隆琦が伝えたと言われています。
その隠元隆琦が寒天を試食した際、その汚れなく澄んだ見た目から寒天を精進料理の食材として利用することを勧めました。そして、寒晒しのトコロテンの意から「寒天」と命名したと言われています。
最後に私が開催している煎茶道教室のご紹介です。日本橋・人形町で黄檗売茶流の煎茶道教室を開催しています。煎茶道だけでなく、日本茶や日本文化について皆さんと一緒に学んでいきたいと思っています。是非遊びにきてください。
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