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【シリーズ「あいだで考える」】頭木弘樹『自分疲れ――ココロとカラダのあいだ』の「はじめに」を公開します

きたる4月、創元社は、10代以上すべての人のための新しい人文書のシリーズ「あいだで考える」を創刊いたします。[特設サイトはこちら
初回刊行は、
頭木弘樹『自分疲れ――ココロとカラダのあいだ』
戸谷洋志『SNSの哲学――リアルとオンラインのあいだ』
の2冊です(4月10日発売予定)。

刊行に先立ち、頭木弘樹『自分疲れ――ココロとカラダのあいだ』の「はじめに」の原稿を公開いたします。

『自分疲れ』は、難病の実体験に基づいたユニークな文学紹介活動を展開している著者が、
「自分自身でいることに疲れを感じる」
「自分自身なのになぜかなじめない」
といった「違和感」を出発点にして、文学や漫画、映画など多彩なジャンルの作品をとりあげながら、心と体の関係性について考察する一冊です。
科学的なアプローチからはこぼれ落ちてしまう「私だけの心と体」を大切に見つめながら、「自分とは心なのか、体なのか」「自分とは何なのか?」を読者の目線で考えていきます。

また、装画・本文イラストは香山哲、装丁・レイアウトは矢萩多聞(シリーズ共通)が担当。「違和感」や「なじめなさ」をなにかと感じやすい10代の読者の、またすべての世代のココロとカラダに、言葉だけではなく感覚においても訴え、寄り添う一冊になっています。

現在、4月10日の刊行に向けて鋭意制作中です。まずは以下の「はじめに」をお読みいただき、『自分疲れ』への扉をひらいていただければ幸いです。
(戸谷洋志『SNSの哲学』の「はじめに」も近日公開予定。「あいだ新聞」「あいだラジオ」など関連企画についても、別途お知らせしてまいります!)

はじめに ——自分自身がしっくりこない

 自分でいることに、つかれを感じたことはないだろうか?
 たとえば、自分の性格が好きではないとか。
 自分のからだに不満があるとか。
 「どうして自分はこうなのだろう……」となやんでしまう。
 それなのに、その性格や体でずっと生きていかなければならない。
 気に入らないなあと思いながら、24時間365日、なんとか折り合いをつけながらやっていくのだから、これは疲れないほうがおかしい。
 別人になってみたいと願ったことのない人は、少ないのでは?

 自分が好きな場合でも、ずっと同じ自分でいるというのは、退屈たいくつと言えば退屈だ。
 いつも自分の目線で世の中を見て、自分に起きることだけを体験して、自分の人生を生きていく。
 ずっと同じ主人公の映画を見続けているようなもので、うんざりしてきてもおかしくない。

 自分を好きとかきらいとかに関係なく、なんとなく、
 「自分にとって自分がしっくりこない
 「自分でいることになじめない
 というような違和いわ感を覚えたことはないだろうか?
 買ってきた服が、なんとなく自分に合わないような、何かちがうという感じ。

 では、「自分」とは何なのか?
 そう問われると、よくわからない。哲学てつがく的な問題に聞こえる。
 自分とは、よくわかっているものであると同時に、よくわからないものだ。
 とりあえず、この体、これは自分だ。
 そして、この心、これも自分だ。
 では、心と体が自分なのか。
 自分とは、心と体なのか?

 手や足の小指をケガしたことはないだろうか?
 ふだんは小指のことなどほとんど意識しないし、とくに小指を使って何かしている気もしないが、ケガをしてみると、こんなに小指をいろいろなシーンで使っていたのかとおどろかされる。
 小指について、いちばん知っているのは、小指をケガした人だ。

健康であれば、わたしたちは器官の存在を知らない。
それをわたしたちにけいするのは病気であり、
その重要性ともろさとを、
器官へのわたしたちのぞんともども理解させるのも病気である。
——シオラン『時間へのしっつい』(金井ゆう訳、国文社)

 健康なとき、人はほとんど体を意識しない。
 胃が痛くなって、初めて胃を意識するように、不調になって初めて、その臓器の存在を意識する。
 つまり、体についていちばんよく知っているのは、体に問題が起きた人なのだ。
 私は20さいで難病になって、13年間、とうびょうした。だから、体というものを、とても強く意識した。再発見した。
 そして、体が変化すると心も変化する、ということも体験した。
 そういう体験をもとに、体と心について、気がついたことを少しお話ししてみようと思うのだ。

 心や体については、科学的に語られることが多い。
 脳のかいという部分がおくに関係しているとか、思春期にはホルモンのぶんぴつによって体が変化するとか。
 とてもおもしろいし、有意義だ。
 ただ、そういう話は「人間は」という大きなくくりで語られる。個人はそこからはみ出してしまうことがある。
 いちばん大切なのは、私だけの心のこと、私だけの体のことなのに。
 そういう「個人的なこと」をひろいあげてくれるのが文学だ。
 文学は、あるひとりの主人公についてくわしく書いてあることが多い。その主人公は、自分とはぜんぜんちがっていて、共通点がないことも多い。それでも、その主人公の体験や内面がこまやかに語られていくと、なぜか共感したり感動したりする。「ここに書かれているのは自分の気持ちだ」とさえ感じることもある。
 これが文学の不思議なところだ。個人的なことをめると、へん性にとうたつする。
 そういう文学の力も借りるため、今回、文学作品をいろいろごしょうかいしていきたいと思っている(映画やまんなども)。

著者=頭木弘樹(かしらぎ ひろき)
文学紹介者。20歳のときに難病(潰瘍性大腸炎) にかかり、13年間の闘病生活を送る。そのときにカフカの言葉が救いになった経験から『絶望名人カフカの人生論』(飛鳥新社/新潮文庫) を編訳。著書・編書に 『うんこ文学』(ちくま文庫)、『ひきこもり図書館』(毎日新聞出版)、『食べることと出すこと』(医学書院)、『絶望読書』(河出文庫、河出書房新社)ほか多数。

〇シリーズ「あいだで考える」
戸谷洋志『SNSの哲学――リアルとオンラインのあいだ』「はじめに」
奈倉有里『ことばの白地図を歩く——翻訳と魔法のあいだ』「はじめに」
田中真知『風をとおすレッスン――人と人のあいだ』「はじめに」
坂上香 『根っからの悪人っているの?――被害と加害のあいだ』「はじめに」
最首悟『能力で人を分けなくなる日――いのちと価値のあいだ』「はじめに」
栗田隆子『ハマれないまま、生きてます――こどもとおとなのあいだ』「はじめに」
いちむらみさこ『ホームレスでいること——見えるものと見えないもののあいだ』「はじめに」
斎藤真理子『隣の国の人々と出会う——韓国語と日本語のあいだ』「序に代えて」
古田徹也『言葉なんていらない?——私と世界のあいだ』「序章」
創元社note「あいだで考える」マガジン