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【科学者#010】様々な科学者と協力した天文学者【ジャン・ピカール】

科学者という職業が確立されていないころ、研究はほとんどひとりで行われてきました。
さらに昔は、連絡手段としては手紙しかなかったため、交流はなかなか大変でした。
そんな中でも、当時主要な科学者と多くの連絡を取ったのか、今回紹介するジャン・ピカールです。


ジャン・ピカール


ピカール

名前:ジャン・ピカール(Jean-Felix Picard)
出身:フランス
職業:天文学者・司祭
生誕:1620年7月21日
没年:1682年7月12日(61歳)


業績

子午線弧長の計測

ピカールの業績として上げられるのが、子午線弧の長さの計測になります。
子午線弧とは、地球の表面に沿った子午線(経線)の弧のことをいいます。
その長さを、当時ではすごく優れた精度で測定したのがピカールです。

そして、その時行われた測量方法が三角測量になります。
一番はじめに三角測量を行ったのは、ヴィレブロルト・スネル(1580年~1626年)という人で、1615年に子午線弧の長さを三角測量で測定しています。
ピカールは、そのスネルよりも三角測量の技術を向上させて、子午線弧の長さを測定しました。

ちなみにスネルは、オランダの天文学者・数学者で、光の屈折の法則であるスネルの法則を発見した人です。


生涯について

ガッセンディへの弟子入り

ピカールは、フランスのロワール川のほとりの町で生まれます。


父親は書店を経営していました。

成長したピカールはイエズス会大学に入学し、1644年には大学を去りパリへ住み始めます。

1645年8月21日にはピエール・ガッセンディの弟子として、日食の観測を手伝います。

ガッセンディ

ガッセンディは1592年1月22日生まれで、1655年10月24日に亡くなったフランスの物理学者・数学者・天文学者です。
貧しい農夫の子として生まれたガッセンディは、言語学と数学の才能を開花させます。
ピカールが弟子として観測を手伝っていた時は、パリのコレージュ・ド・フランス(フランスにおける教育の頂点に位置する国立の特別高等教育機関)の数学教授時代です。
ガッセンディは、そこで1648年まで講義を行っています。

1646年~1647年には、ガッセンディと月食の観測をします。
ピカールは、ガッセンディが1655年に亡くなるまで連絡を取り合います。

そしてピカールは、1655年10月に、コレージュ・ド・フランスの天文学の教授となります。
1666年からは、設立直後のパリ科学アカデミーの22人いる初期メンバーのひとりとして、アカデミーで働くことに専念します。


三角測量

1669年にピカールは、最初の本格的な三角測量を行います。

測量機器

三角測量とは、基点となく直線の両端にある既知の点から、測定したい点への角度をそれぞれ測定することによって、その点の位置を決める方法です。

この時は、緯度の差が1度に相当する子午線弧の距離と0.3%の精度で測定しました。

さらに、1669~70年にも三角測量で調査し、地球の大きさを優れた精度で測定されました。

ピカールは測定の結果から、地球の半径を6328.9㎞と計算しました。
実際は、極半径が6357㎞なので誤差は0.44になります。

実は、このピカールが計算した地球の半径は、アイザック・ニュートンの万有引力の計算のときに使われています。


科学者との関係性

ピカールは、パリ科学アカデミーのメンバーだったこともあり、その当時の主要な科学者と多くの連絡を取り合いました。

フランスで三角測量といえば、前回紹介したカッシーニです。

カッシーニ

カッシーニは、4世代にわたりフランス全土を三角測量した人物です。
ピカールとは、協力関係というよりかはライバル関係だったみたいです。

そんなカッシーニとピカールは、1673年にパリの天文台でジャン・リシェ(1630年~1696年)と協力して、火星の視差の測定をしました。

他にもピカールは、
オランダの数学者のクリスチャン・ホイヘンス(1629年~1695年)

ホイヘンス

デンマークの数学者・天文学者のエラスムス・バルトリン(1625年~1698年)
オランダの数学者のヨハン・ハッデ(1628年~1704年)

ハッデ

ポーランドの天文学者のヨハネス・ヘヴェリウス(1611年~1687年)
などと協力関係にありました。

ヘヴェリウス



ピカールという科学者とは

ピカールは、パリ科学アカデミーの初期の中心人物であり、様々な科学者と交流を持っていました。

そんなピカールですが、実は天文観測関係の本は生前には出版されませんでした。
死後60年後になってようやく出版されました。

ピカールは他にも、ヴェルサイユ宮殿の噴水に水を供給するという問題を解決したり、秒振り子の長さの測定にかかわったり、様々なことをしました。

色々な人と交流を持てたということは、激しい自己主張をせずに、人当たりのいい人だったのかもしれません。

しかし、現代の精密な三角測量などの測定ができるようになったのは、ピカールのおかけでもあるといっても過言ではないと思います。

今回は、そんなジャン・ピカールを紹介しました。


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