学びの機会にするか?しないか?
月曜日から、送別会を兼ねた職場の忘年会に参加し、火曜、水曜と工場での監査対応をしてきました。監査内容について、詳しい内容は書けませんが、労働と倫理に関する監査を2日間受けてきました。
労働に関する監査?なんですか、それ?
労働(Labor)という言葉を聞いて、どんなことをイメージするか?多くの日本人の方は、「労働を英訳して下さい。」と言われると『Work』と応えると思いますが、今回の監査は『Labor』に関する監査です。
この英語の和訳の違いを考えるだけでも、様々なことが見えてくる。
今回の監査は、ここ10年20年の間で関心が高まっているが、それまで日本の企業では、あまり考えてこられなかったことであり、大変厳しい監査だったことは言うまでもあります。ただ、ご対応頂いた監査員の方が、外国籍の方だったこともあり、監査の合間に、少しだけ世間話をさせて頂ける機会があって、労働に関して世界が関心を持っている内容がどんなモノなのか?ということを聞くことが出来た。
労働問題には必ず人権が関係する
日本は、島国で単一民族の独立国家として存在してきた歴史がある。そのため、民族紛争もなく、外からの侵攻侵略もなく、名前も形も変えず、同一民族で存在し続ける世界唯一の国家である。
そのため、日本人のアイデンティティとして宗教観が希薄、人種差別や人権問題にも関心が薄い。外国人に対する偏見が社会の中で今も根強いとか、言語に関しても、日本語しか話せない人が多い。など、文章にするとなかなか表現が難しい😓というか、私が伝えたいことがちゃんと伝わるかどうか、分からないところがあります。
もちろん、日本がそうだったからこそ「世界に誇れる日本の素晴らしい文化、技術、パーソナリティがある」ということも事実ですが、ことビジネスの世界においては、これだけグローバリゼーションが進んだ中で日本の法規法令、日本企業の就業規則はもちろん、我々日本人の感覚や広義な意味で知識は、世界のスタンダードからすると時代遅れになってしまっているというデメリットも大きいのではないか?ということを感じた2日間だった。
監査の中で質問された内容、指摘された内容について、YES、NOで答えるだけではなく、質問されている意図は何か?指摘された内容の問題点は何か?という裏を考えていくと、自分自身が様々なことを考える良いきっかけになることが多い。しかし、工場で一緒に対応した人は「指摘されたことをやらないといけない。でも、そんなことをしたら費用が掛かるから簡単にできないよ!」っていうふうになっている人が多かった気がする。
真面目な気質はいいことですが、
そういう言葉通りに受け取っていたら、大変なことになる。って思って、結局何もできなくなってしまいませんか?
って思うし、今の日本人って、こういう気質の人が多い気がします。
過去や今の状況を振り返り、考えるという習慣
私が小さい頃、小学校などで「先生の言うことを聞かなきゃいけないんだ~!」って言うと「じゃあ、先生が死ね!って言ったら、死ぬんだ?」みたいに言われて、ケンカになることとかっていうことがありました。(笑)
今はもうダメですけど、サラリーマンになった頃も「上長の絶対は命令は絶対だ!」とか言って「じゃあ、上長が脱げ!って言ったら、脱ぐのか?」みたいな話とかっていうのは、日常茶飯事だったように思う。
このやり取りは、典型的な日本人のアイデンティティーの一つだと思っています。親、先生、上司のいう事は絶対服従!みたいな感じ。あとは、個性が大事とか言いながら、他の人たちと違うことをするとすぐに怒られる。子供においては、発達障害があるかもしれません!と言いだす大人たちがいたりする。こうしたことが日本社会がグローバリゼーションに対応できていない理由の根本的なところなんじゃないのか?ということを考えたりもする。
様々な視点、立場で物事を見る。
言葉や文書の裏を読む。といった感性
日本人は、小さい頃からスマホやタブレットを持ってしまうため、人間としての感性が鈍っているんだろうな。って思うこともある。(本当かどうかは分からない。)
前にも書きましたが、今どきの大学生は合コンもしない。彼氏・彼女を捜すのはアプリ!という時代ですから、なかなか感性といっても、ピンとこない人もいるかもしれません。生活に余裕もないので、大人の人たちも感性を磨くようなことをしていない人も多いと思う。
目の前の風景を見て、ボーっとする時間がいい。とか、目的地も決めずにドライブへ行くとか、そういうことをしたり、本を読んで情景を思い浮かべながら、想像を膨らませるということも、やっている人はやっているけど、その割合は減っていたりするんじゃないかな?って想ったりもする。
日本社会全体が、だんだん無機質になっているような感覚を覚えるのは私だけでしょうか?
何でもない日常をただ過ごすのではなく、何か学びの機会として、前向きに過ごすという感覚は大事にしたいな。って思う今日、この頃。