普通と基本と、その MOYA MOYA とその先の菓子のレシピを上げる理由。
に
大人 になって も
馴染めないのは私だけかな?
突き詰めたくなる。
そこには
“”理解したい“”があるんだ。
それは
【強制の枠組みでの普通】を理解したいわけではなくって。
【その答えを導きだしたその“人”としての普通】を、聞いてみたいし
感じてみたい。
けれど
あまり、そんな人や、【普通】【基本】に出会ったことがない。
子供のころから
そのMOYA MOYAは
自分の中に
あったのだけれど
「普通はね、こうなんだよ。」とか
「基本はね、こうなんだよ。」とかで、
「だから
(理由は根本は説明出来ないけど、
何故そういう判断なのかは考えてないけれど)
こうしなさい!」
て、
言われることに
どーしても、理解できずMOYAMOYAさんが
私のなかに住み着いた。
子供の頃は
それでも。
親が
先生が
大人が。
生きる上で
絶対的な正しさというものを
持っていると
こどもながらに感じられずには
居られなかったし
モヤモヤした違和感を持ちながら
大人になる。
で、またまた
良いのか悪いのか
不器用な手先、性格だったので
その普通をそつなくこなすタイプではない。
その理由や考えのない【普通】というやつには
がんばっても
つくろっても
出来ない、めんどくさい子。
周りの大人たちにとったら
とても扱いにくい子供やったように思う。
それは
幼稚園とか小学生のころだけではなく
高校や大学、でもそんな感じ。でした。
どこにモヤモヤが引っかかっているのか
今だったらしっかり言える。
というか
今更ながらようやく言える。し、自分なりにわかる。
自分の答え。
その
【普通】とか【基本】とか突きつけられる、
THE MOYAMOYA!の正体を!!(笑)
それは
(相手の中の思考でしかない枠組【普通】)を
押し付けられた時。
に発生する、MOYA MOYA!
でも。
まだ
それが
相手なりの考えがあって
ロジックがあった中で出された
【普通】という答えならば
まだMOYA MOYAは私の中で増殖されないのだけれども
意外と
ただ、
相手を強制するのに
都合がいいから
そのモノ事や事柄を
【普通】や
【基本】と
読んで
押し付ける、、。
と
感じ取った瞬間
一気にMOYA MOYAが私の中で増殖するのです。
例えば
それは
そこに立つ子供を見て
子どもはみんな、これが好きでしょ?とか
言う、扱いに近いもの。
それは
男やったらこうでしょ?とか
女やったらこうでしょ?
普通でしょ?
でも言い換えられるかな?
いやいや、
個人
によって全然違うから!と。
でも案外、
学校や
勉強方法、
職場でも
家庭でも
近所でも
親戚でも
仕向けてくる方、多いよね。
で、
結構すんなり
受け入れて行動しちゃう人も多いことも事実で。
でも
それ
わたし31歳になっても出来ないんやけれど。(笑)と。
え?!
ちょっとまって?
この
MOYAMOYAさんは???
え、
なぜそう思ったの?
なぜその発言したの?
根本、
考え
なぜそうなったか
ロジック説明してくれないと
動けないし
受け入れられないんやけどーーー
その
考え?!
と
思うのは
私だけでしょうか。。(笑)
みんな苦しくないの?
みんな違ってみんな良い。
と
多様性。
と
言われる世間も増えてきた。
けれど
言葉がふわふわと
たんぽぽの綿毛のように
浮いてるだけで
意外と
案外。
機械のように
ただ“やっている”
【普通】【基本】は
まだまだ
学校、会社、家庭内、
多い。(てか気づかないふりしてる?の?)
そして
その【均一】を
【強制】的に押し付けている。
やんわりと、でも確実に。(泣笑)
もちろん
その人や会社なりの
【基準】というものをもつことは
大切やと思っている。
個々の
基本があることは素敵やと思っているよ。
でも押しつけた瞬間に違うくなる。
もっと
もっと
もっと、
普通はこうだから→こうだ。
では、無く。(泣く、亡く、、)
こうありたいから→こうだ。
に
在り方を変えていく個人や組織、家庭、
(それからお菓子の在り方、作り方も)が
増えていったら
【普通】【基本】という
優しいようで強烈な否定はなくなるのになぁ。と
感じるのです。
これも
私、個人の
世間に対する
押しつけなのかもしれないけれど。
ただ、
もう
機械や
奴隷のように
【世間の普通】という言葉を押し付け、強制、均一な
社会はなくなればいいのに。
普通という言葉がなくなればいいのに。って思ってる。
普通ってなんだ?!
いろんな考えがあって。
その考えを話あって
あぁ、君はそんな考えなんだね、
と
でも私はこういう考えなんだーと
言い合える関係、
世間が良いし
それで
考えが
一致したならば
なにかチームを作って成し遂げることも楽しいし、
きっといいものを産むと思うのだ。
その時に
多様性、というものが発揮され
この日本が
いろんな視野をもとに見つめなおす機会が溢れ
そして個人の根っこがしっかりとし
チームの根っこがしっかりとし
考動しやすい社会に
なるんちゃうの?!って
偉そうな事、書いてみます。
今の私の頭の中はこんな感じ。
で、
否定したくないと言いながら
それも今を否定しているのかな。
最近思うのです。
違和感を感じとって
そこから
自分の想いを見つけ出す、ことは
とても大切なことだと。
で
見つけ出したら
その違和感を心地よいものに変えるために
(きっと住みやすい世の中にするための種であるだろうから)
発信、考動、行動、していかなくちゃ行けないと。
自分の持っているツールで(私なら菓子とかこのブログ)
けれども
それは
違和感を感じたもの、事
それに関わっていた人
を
否定することとも
取られるんじゃないだろうか?と。
否定する世の中を産みたくないのに
違和感を感じて
動き出したら
否定が必ずある。生まれる。
表があれば裏があるんやから。
当たり前っちゃ当たり前。
そこの
MOYAMOYAに侵されている私、も事実で( ノД`)
(たぶんここは否定は産まれるものと決意し自分を信じて進むことを決意していく勇気がいるのかも、とも感じてます)
それでも
自分の頭で考えて
私は
こう感じ
こう、行動して、
こうありたい。
って
伝えて
それで
違う意見も
共感も
集まって
そこで
温かい濃厚で
チョコレートのような
落ち着きあるやわらかな心地よいもの、が
溢れる
世間の方がいいなぁ、って思う。
いろんな考えが溢れたほうが
いろんな引き出し
道、が
個々にも
社会にも
広がるのだから
やっぱり
私は
発信していこう思う。
#そぼくな 。
として。
そぼくに。
押しつけ。ではなく。
ただ、
こんな考えです。
と伝えること。
刺激(外、相手やモノゴト)と
反応(内、自分)には
間があって。
その間は自分で考え
反応を
自分で選び取れるんだ。
だから。
自分の表現を大切に
そぼくに
素直に
伝えていきたいと思う。
世間の普通、を
ただ
受け入れちゃうんじゃなくて。
受け入れたとしても
自分の在り方と一致した、
と確認した時だけ
受け入れることを決意したい、
そう
思う。
長々と読んでくれてありがとう!
次からいよいよ
レシピをガンガン上げていきます。
その前にこんな想いを書いておきたかった。
と
言うのは
今まで世間であった
【基本の菓子】とか
【普通の作り方】とかは
載せないです。
そういうものが知りたい方は
いっぱいネットでも出てくるし
本もたくさんあるので。
誰かの基本とか
科学の基本とか
一般的な打倒なもの
載せない。
私は
こう在りたい菓子だから、
こういう香りを出したくって
こういう食感を出したくって
こういう佇まいを出したくって
こういう味わいを出したくって、
だから
こう作る。
を先に考え
イメージした
そぼくな。の菓子を
伝えていきたいと思っています。
人の生き方もそこが根本やと思っているから。
菓子やレシピ、このブログを通して
人生にぽっと灯りを灯すような
ものを
お届けできるように
していきたい。
これが
そぼくな。の目標です。
きっと個人も世間も今より暖かいものが内から広がると信じている。
そんな感じです。
私の
#焼き菓子屋そぼくな 。をやる意味。
#お菓子レシピ をやる意味。
読んでくれてありがとう!
ゆ季
(次回はちらちら出ているそぼくな。流。スコーンのレシピです^^)
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