「昔の星野源が良かった。」
今から数年前、大阪に出たての頃なので8年くらい前か、なんとなくテレビを見ていると、CMで流れている曲がふと気になった。
画面右下に目をやると”星野源”と書いてあったので、すぐに検索。
「なるほど、この歌は”夢の外へ”というタイトルで、歌っている人は役者やエッセイを書いたりしてるんだ。へぇ。面白い人。」
それから近所のTSUTAYAでアルバムを全て借りた。
本当に全ての曲が僕の好みだった。
初回限定版についている特典DVDが見たくて、梅田の中古CD屋を回るのが休日のルーティンの1つだった。
なかなか無くて途方に暮れていたら、近所のゲオに”知らない”のCDが置いてあって、爆笑をこらえながらレジに並んだ。
ラジオでバナナマン日村に、バースデイソングをプレゼントしているのを聞いて、僕はギターを買って音楽教室に通い始めた。
お察しの通り、
僕は星野源にめっちゃ影響を受けた。
星野源の存在は、根暗なりにモテたかった僕の「理想の姿」だった。
根暗でも自分のやりたいことをやる権利はあるし、「やりたいことがある!」と声を上げる権利はある。
星野源は「遠慮しているように見えて頭の中ではどえらいことを考えている」ように見えた。
(おれと一緒じゃん)
自分の欠点や失敗エピソードを笑いに変えて堂々と話している姿はカッコよかったし、相当な苦労をしているんだろうな。とも思った。
僕も自分の経験を糧にできる人になりたいと思った。
というより、そういう大人がいてくれて安心した。
そうこうしている間に星野源は、くも膜下出血から復活し、”SUN”で大ブレイクした。
数年前まで、
「好きな歌手は?」
「星野源」
「誰?」
「えーっと」
という会話が普通だったのに、今はそんなことあり得ない。
それからの活躍ぶりは言うまでもない。
僕は、ブレイク前の星野源を知っている。
ブレイク前のギターで弾き語りしている星野源が好きだった。
自信が無さそうなのに人前に出ている姿に共感していた。
ライブ中にも関わらず、うんこに行く星野源が好きだった。
*
そうこうしている間に僕は、素敵な女性と出会い結婚した。
それからのリア充ぶりは言うまでもない。
僕は、結婚前の僕を知っている。
結婚前のモテるために試行錯誤していた僕が「星野源っぽくて」好きだった。
根拠のない自信を頼りに無謀な挑戦をしている姿を「星野源っぽいな」と自分に重ねていた。
試合中にも関わらず、うんこに行く僕が「星野源っぽくて」好きだった。
でも最近は「星野源っぽく」なれない。
それは星野源が変わってしまったから?
英語の歌を作ったり、サングラスをかけたりセンター分けにしたり、遂にはガッキーと結婚したから?
違う、
僕が「星野源っぽく」なる必要が無くなったのだ。
あの頃は「何者かになりたかった。」ただそれだけ。
星野源という”ちょうど良い理想像”を見つけただけ。
”自分が自分であること”に自信を持てなかっただけ。
くそ〜、30歳でこんな気づきをするくらいなら、