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〜毎日はEvery Day〜

私は今,高校3年生の受験生です。
自分の過去を書くことで自分がどう生きてきたのか,そしてこれからどう生きることが良いのかを探究するために書こうと決めました。

これからもちょこちょこ日常を書いて行くことにしようと思います。
ぜひよろしくお願いします♪


私の今まで

保育園から小学校低学年まで

この頃の私はとにかく人見知りが激しすぎたみたいです。

保育園で入園しても2〜3ヶ月程度は話さなかったり,周りの子達と打ち解けるのが異様に遅かったりしたみたいです。

私の記憶が朧げなので,両親に聞いたのですが,聞く限りだとかなり育てにくい子供だったんだなぁと思います。

少し申し訳ないですが…覚えてないんです。

小学校中学年から高学年

この時はとにかく宿題を溜め込んでいたり,教室や図書館などによく物を落として無くしていたり,忘れ物が多すぎたりしてました。

宿題を自分で丸つけをする方針だったのですが,丸つけをどのタイミングでやれば良いのか,答えが貼ってある場所がいつもバラバラで分かりにくかったんです。

気づいたらやってある宿題がファイルにパンパンに入っているというのを繰り返していました。

教室や図書館では,鉛筆や消しゴム,定規などをよく落としていました笑

気づいたら落とし物BOXに自分のものがたくさんあって,一時的に筆箱がパンパンになっていたりしていました笑

忘れ物では,ランドセルと別で持つものは基本的に忘れて学校に行ってました。

給食袋や絵の具セット,書道セット,新学期の上靴などです。

ちなみに,ランドセルを忘れたこともあります(通学路の途中で友達に言われて気づきました)

毎日毎日,全部持ってきたつもりでも何かを忘れてることに学校で気づくという小学校時代を過ごしていました。

高学年になると,それが目立たなくなっていった代わりに人間関係の難しさを感じるようになっていきました。

他人が何を考えて,何を求めるのかをその場の状況で感じなければならないということがどうしてもできなかったんです。

そこから他人が少しづつ怖くなっていきました。

中学生時代

中学生になって変わったことといえば,やはり部活に入ったことです。
私は,吹奏楽部に入りました。

そして,部活動の影響で私の元々あった困り事が大きくなっていきました。

部活動の練習があまりにもハードで,私は体調を崩してしまい,私が潜在的に持っていた感覚過敏が強く出るようになりました。

体調を崩してからは,学校に行ったは良いが倒れて,親に迎えにきてもらうという生活を送ってきました。

中学校では,まともに学校に行けたと実感できたのは入学直後の半年と,3年生になってからの1年弱くらいです。

この頃に,一般の感覚とは少し異なった場所に私がいることに気づきました。

先生に指摘されて,発達障がいの一つであるSLD(限局性学習障がい)の疑いが出てきて,色々な質問をされた結果,精神科への受診を勧められました。

結果,私には神経発達症(発達障がい)の傾向があることがわかりました。

それが分かったからと言って,中学校ではあまり配慮してくれる訳ではありませんでした。

それでも,3年生になると調子も段々と安定していって,別室ではあっても登校することができるようになっていきました。

高校生時代

高校は通信制の高校にしました。
通信制だけど,授業がある日は登校しなければならないので引きこもり防止になるかなと思い,その高校に決めました。

入学してから1年間は,環境の変化に体が追いつけず,思うように登校出来ませんでした。

でも,先生方の配慮のおかげで2年生になると,また段々と登校できるようになっていきました。

3年生には,登校する日数を少し増やして,残りの時間で自分の進路のためにやるべきことをやるというふうにしました。

少しずつでも着実に進むことは大変なことだったけど,これもこれからの私の為の勉強の一つだと今では思っています。

自分の持つ特性について

普通とは少し違う私

実は私は「神経発達症」の診断を受けていて,具体的な病名を出すとADHD,ASD,SLDの3つの発達障がいを持っています。

私は自分が普通ではないことは薄々感じていました。

でも,理由が分からなかったので,普通になることに一生懸命でした。
なので診断を受けて,なぜ自分が周りと合わずに人間関係を築くことが苦手としていたのかが分かりました。

その後は,こうすれば良いんじゃないかと考え,日常の中にあるたくさんの苦手なものへの対処方法を見つけることに専念しました。

少しくらい人と違ってもみんなと同じように生きているだけ。もしかしたら周りの人も同じかもしれない。今の状況が今の自分にとって辛いものだったとしても,他人との違いからくる悩みから逃れられる人は現代において誰一人いない。
そう思い直すと幾分か自分を受け入れることができました。

毎日はEvery Day

「毎日を生きることは辛い」
この言葉は人類の最大の発明の一つなんじゃないかって思うんです。

生きることは誰であっても辛いと思うからこそ,この言葉が生まれたんだと思うんです。

でも私は,生きることが辛いものだと認識しているから,人生がみんな違いものになると思います。

人生が辛いこと自体は別に悪いことでは無いのでは…とも思います。

人生が辛いからといって,何も起きないんじゃつまらないと思いますし,何も事件が起きない小説は進んで読んでみたいとは思いません。

人生が辛いものだとみんなが認識しているから,そこから解放されるために自分のやり方で生きているのではないかと思います。

だから私は,クヨクヨせずに,ポリシーを持って着実に生きることができるように,過去を書き出してみました。

ここまで読んで下さり,ありがとうございます🙇‍♀️

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