質問とともに生きている。
「まきさんは、きっと質問が好きなのだと思います。」
と、先日フィードバックをいただいた。
そうなのかな?
質問好きなのは確かなんだけど。
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「質問、向いてると思う。」
と以前言われたこともある。
それは、なんとなく”しつもん読書会”に行ってみたときに、質問っておもしろいなぁと思って。
会話のきっかけにも、相手を知るきっかけにも、人間関係のはじまりにもなるから楽しいなぁという感想を伝えたら、そう言われた。
それまでは、質問って何かを知るためのものだと思ってたから、質問の世界が広がった。
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質問って、私にとっては、自分の世界を広げてくれるものでもあるなぁと思う。
知識が増えて、人とのコミュニケーションが増えて、人との関りが広がったり深まったりして。
自分とのつながりも増えているかもしれない。
そもそもさ、質問というか、問いは常に頭にあるよね。
質問が好きだから質問するのではなくて、疑問が浮かぶから質問するよね。
なにかわからないことがあれば、なんだろう?って思うし
聞いても理解できなかったら、どういうことだろう?って思うし
なぜこれが起こったのだ?って思うし
どうやったらそういう風にできるんだろう?って思うし
何かいい方法ないかな?って思うし
どうしたらもっとよくなるだろう?って思うし
なんでそんな考え浮かぶんだろう?って思うし
どういう意図かな?どんな目的?って思うし
なんでそここだわってるのかな?って思うし
なんでこれで大丈夫って思うの?っても思うし
なんでそんなこともわからないの?っても思うし。
どういう人かな?って思うし
何考えているのかな?って思うし
どんなつながり?って思うし
何が好きだろう?とか
どう伝えたらいいかな?とか
どうしたい?とか。
なんか見たり聞いたり知ったりしたら、なにか解決してもほかになにか問いが浮かんでいるくらいに、なんで?どうして?どうしたら?って思う。
人と知り合ったり話したりしていると、相手とか会話のことについて、気になることなどが出てくる。
なんでこんなこと言っちゃったんだろう?って思ったり
なんで失敗したのかな、って思ったり
私いつもここでひっかかるのなんでかなーと思ったり
なんか違和感覚えたのなぜ?って考えたり
なんでこれ気になった?って考えたり
どうやったらできるだろう?って考えたり
自分のことでさえもいろいろ不思議に思って考える。
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答えがほしいときもあるし、答えを考えるプロセスが楽しいときもあるし、単にほんとに気になるだけのときもある。
でも常に何個かのなんで?がある気がする。
調べたってやってみたって、次のなんで?が出てくるだけで、なんで?が減ったりはしなくて。
逆に、疑問に思わずにすんなり受け入れられる人、なんで?って思ったりもするもん。
自分の意見と違ったりするときに、理由とか根拠とか気にならないのかなぁと思うし、こうするべきだとかこれが当たり前というのも、なんでそう言えるの?って不思議にならないのかなと思う。
疑問に思ってもわざわざ口にしないし行動もしないって人もいるのかもしれないけど。
なにかのために質問するというより、単に不思議なことを聞いてみたいだけな気もする。
小さい子が、なんでも「なんで?」っていうのと変わらない感じで。
だけど、なにかすすめたり変えたりしていくときに、特に大きな変化が必要なときなどに、今の状態への「なんで?」が必要だよなぁとも思うし、だからそれもありだなって思ってる。
ということで、日々日々「なんで?」をやり続けるんだろう。
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てかさ、みんなもっと疑問持とうよって思う。
受け入れることとかも必要とされるんだろうけど。
でも、なんで?ってなるから考えはじまるし深まるし、楽しいんだけどな。