#70 墨子
“墨子"を読了。
改めて中国の古典を学ぼうと思い、儒教の四書をひとまず読み終わっていたのでまずは他の諸子百家を読みたくなり、墨家をチョイス。
儒家の家族や長たる者への偏愛を批判し、兼愛論を唱えた墨家。
実利的な会話の進め方が展開されている内容で儒家が唱えている内容を都度批判していく形を展開している。
想定以上に実利主義を展開をしているので、これはこれで個人的に好みの考え方!
特に印象に残ったのは下記の3点。
十論
墨家は行為を受ける側の利不利にのみ注目して、行為者の内なる「性」などにはほとんど関心を寄せない。人々に与えられた「性」を前提とせずに、人々に共有されるべき「義」(正しさ)を定めようとするのである。その義が共有されるためのシステムが、上位者が義とするものを義とせよという「尚同」の主張である
墨子は実利主義である。実利実用の範囲を少しでも超えたものは全て否定されるのである。そして、それは民衆の生活を安定させるためであった。節用が、経費の切り詰めだけを説く単純な倹約主義ではないこと、それが支配層に向かって説いていることは注目すべきことである
良書!
以下、学びメモ。
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・★十論★:
尚賢→身分にとらわれず賢者を登用すべきこと
尚同→上位者が「義」とするものに従うべきこと
兼愛→自己と同じように他者を愛すべきこと
非攻→侵略戦争を行ってはならぬこと
節用→無用な出費を防ぐこと
節葬→葬喪を簡素にすべきこと
天志→兼愛が天の求めるものであること
明鬼→鬼神が信賞必罰を行うものであること
非楽→支配階級が音楽に耽ってはならないこと
非命→必然的な運命など存在しないこと
・(解説)儒家との対比で十論を見るときに興味深いのは、ここに「性」(性善説や性悪説の「性」)についての議論が現れないことである。
→儒家のように、行為を行う側に注目してコトの当否を考えると、どうしても行為者の心情の純瑞さや動機の正しさにその行動の正しさを求める方向に傾くことになる。ここで純粋な心情から発した「正しい」行為を、人が元々備えている「性」から発したものと解するならば、これは性善説へと向かうことになる。
→★これに対し、墨家は行為を受ける側の利不利にのみ注目して、行為者の内なる「性」などにはほとんど関心を寄せない。人々に与えられた「性」を前提とせずに、人々に共有されるべき「義」(正しさ)を定めようとするのである。その義が共有されるためのシステムが、上位者が義とするものを義とせよという「尚同」の主張である。★
・昔の王者は天下を治めようとするには、必ず近くをよく見極めてから遠くの者を招き寄せようとするのである。
・君子とは、身近なところを見極めて、身辺がよく治った者のことである。
・★ある国で上手な射手や御者を集めたければ、彼らを富貴にして尊敬を払い、名誉を与える必要がある。そうすることでたくさんの有能な人材を集めることができる。★
・君主が下の者を使う手段はただ一つのこと、すなわち正義を標準とすることであり、下の者が君主に仕える手段もただ一つのこと、すなわち正義を標準とするのである。
・社会的な混乱の原因は他人を愛さないことから起こっている。君主や父親に対して臣下や子どもが無礼を働くのが、いわゆる混乱である。反対に、父が子に無慈悲であり、兄が弟に無慈悲であり、君主が臣に無慈悲であるというのも混乱である。
・★今ほんの少しよくないことをした時には、それを認めて非難するが、他国を攻撃するという大きな悪事を働く場合には、それを非難することを知らず、かえって追従してそれを褒め称えて正義であると言っている。これでは、正義と不正義との区別をわきまえていると言えるであろうか。以上のようなわけで、世界中の知識人の正義と不正義との区別の仕方が出鱈目であることがわかる。★
・★国の富を二倍にするというのは、他国の土地を侵略してそうするのではない。その国家の事情に応じてその無駄な費用を省いていけば、十分二倍にできるのである。★
・★(解説)墨子は実利主義である。実利実用の範囲を少しでも超えたものは全て否定されるのである。そして、それは民衆の生活を安定させるためであった。節用が、経費の切り詰めだけを説く単純な倹約主義ではないこと、それが支配層に向かって説いていることは注目すべきことである。★
→三年の喪を強調したのは儒家の特徴であったが、一般に贅沢な葬儀を行う風習は、祖先崇拝の強い中国としては根強いものであった。墨氏はただ無用の贅沢をやめよと言っただけであるが、強い反感をかって、他の学派から極端に粗末な葬儀を説くように理解され、激しく攻撃された。
・天子が三公や諸侯から士や庶民に至るまで、全ての人々を治め正すということは、世界中の知識人たちははっきりと知っている。しかし、天が天子を治め正しているということになると、世界中のすべての人々はまだそのことをはっきりとわきまえることができないでいる。
・★試みに万民からたくさんの租税を取り立てて、大きな鐘やよく鳴る太鼓などで音楽を奏でて、それで世界の利益を興して世界の害を除きたいと考えても、それは無駄であろう。だから音楽好きは良くないと言うのである。★
・★(解説)墨子が否定するものは特に宿命論である。実利的な勤労主義の立場から、人間の努力を強調した墨子にとって、宿命(無目的の非合理的なもので人間的な努力を妨げる)を強く否定していた。★
・★議論には三つの標準が必要になる★:
①議論を根拠づけること
→昔の聖王の事績に根拠を求める
②議論を測り考えること
→民衆の見聞した事実によって測り考える
③議論を実用してみること
→法律や行政の上にあらわして国家のすべての人々の利益に適うかどうかを確かめてみる
・義とは人に利益を与えることである。
→(解説)義と利を対立させて説くのが儒家の立場である。それを一致させて説くところに墨子の特徴がある。これは、彼の思想の実利主義的な傾向と深い関係がある。
・★(解説)仕事はすべて分業であって、そこに軽重の差はないとする立場は重要である。読書人の仕事も肉体労働社の仕事もそこに重要度の差はないとする主張は、墨家の守るべき正義を中心としての発言であるが、孟子などの儒家が読書人を優位に考えるのと比べて全く違っている。
・★昔の善いことはそれを受け継ぎ、今の世に役立つことはそれを創作して、両方ともに行うのが良いと思う。そうすると、善いことがますます増えていくのだ。★
・軽口はその身を殺す。
・正義を行おうとしてうまくできない場合でも、できないからといって、必ずその正義の基準を曲げてはならない。それはちょうど、大工が気を削ろうとしてうまくできない場合でも、その墨縄を変えないのと同じだ。
・★(解説)諸侯への弁舌の仕方を問われた墨子が、国家の秩序が乱れている時は尚賢・尚同の説を語り、国家の経済が悪いときは節用・節葬を語り、国中の人が音楽に耽って快楽を求めている時は非楽・非命を語り、国中の人が無礼ででたらめであれば天や鬼神への奉仕を説き、他国への侵略をしているときは兼愛・非攻を語れと教えているのは、墨家の学説を対症療法的に整理したものだ。★