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2024_#1_淮南子の思想 -老荘的世界-
今年は9月末まで一旦仕事と育児に全振りしたことで少しひと段落してきたことで腰を据えた読書生活がそろそろ復活!
今回は“淮南子の思想 -老荘的世界-"をチョイス。
一昨年〜昨年から儒学や老荘思想や法家思想はもちろん複数の諸子百家の思想を学んできた中で、ようやく淮南子の内容を多角的に噛み砕けるようになってきたかな?と思ったので今のタイミングで挑戦。
結果として、非常に面白く読み進めることができた!
いくつもの思想をアウフヘーベン的立場で織り合わせながら、当時の社会事情や自身の立場を慮りつつ、理想的信念に基づきながら現実解を提言していくような内容の連続で非常に面白かった!
秦帝国の法律統制から解放されたばかりの漢において、一見法家思想を注力しすぎる危うさがありつつも、実際世界においては儒家的な経済政策によって果たしつつ、他方面では法家的な立法策を推し進めているところに、当時の為政者やそれを支える官僚たちの理想と現実の使い分けやしたたかさを強く感じた。
また、淮南氏は積力衆智の政治思想であること自体面白いが、当日の淮南氏が置かれている情勢を見るに、広く人材を集めざるを得ない事情があったことが伺える。
その人物/組織がどのような環境に置かれているのかにより、生み出される思想/理念/ある種の正解的観念は大きく変わってくるんだな〜、というごく自然なことを改めて気付かされた。
良書でした。
以下、学びメモ。
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・現象の雑多な「事」をそのままに重視しながら、その奥底に潜む見えざる一つのもの、形而上的な「道」を中心としてそれを統一しようとする、それが「淮南子」の統一の立場である。その思想は、道化思想としても荘子の立場に近い。
→老子とともに荘子を重んじて、両者の思想を集大成したところに淮南の道家思想の特色があった。
・政治について、きわめて民主的な言葉で書かれている。政治は何よりも民衆のためだと言い、その経済生活を豊かにすることを説くのは孟子などの儒家の主張にも見えることだが、「積力衆知」の政治、すなわち少数者に任せるのではなくて、万人の参加を求めることを説くのは、はなはだ注目すべきことである。もとより、漢の中央集権的な賢人政治に対抗することではある。
・★現実的な主張の反面で説く、観念的精神的な立場も重要である。★
→いたずらに長生きを求め現実的な成功を追う愚かしさを戒めて、「生命への執着が強すぎるからこそ、かえって生命を損なう」といい、人として大切なことは欲望や感情に負けて外物のために引き摺り回されないよう、自己の心性を落ち着けることだという。
・淮南子は、観念的な立場を強調しながら現実主義の立場を失わず、道を中心としながら事を重視する。
・漢のはじめ、人々は秦帝国の法律統制から解放されたばかりで新しい世界の自由を楽しんだ。しかし、政治は一つの技術である限り、政治のうえでの法律の重要さは廃れることがない。
→武帝の朝廷でも法家思想を卑しめながら、かえってその実用性に頼るようになっており、淮南王のもとでも同じであった。淮南子の中でも、法家思想を非難する言葉は多いが、非難しながらもその政治技術としての長所を折衷的に取り入れるふうがある。
・法家の理論は道家の政治思想が目指すところは、中央集権的な体制を強化して君主権の拡大を図ることで、いわば君主中心の法治主義であったが、そのために法や君主の絶対的な至上性格をあらわすには、また、道家の形而上的な至高の性格が便利でもあった。そして、法の客観性、非個人性を表すのにも道の概念は適切であった。
→法家と道家のこうした結びつきは「韓非子」でも見られるが、道家思想を中心とする「淮南子」では特にそれが著しい。道法折衷の立場に貫かれている。
・道のことだけをいうのでは世俗と共に生活できない。しかしまた、現実のことばかりをいうのでは、自然の変化と合一して遊び憩うことができない。つまり、形而上的な深遠な道を説くのは、煩わしい雑多な変化の多い現実にとらわれないで、超越的な心境に遊べるようにという配慮からである。これが要略編のことばである。
・因循無為の政治と民衆のための政治と、その2つの結びつきは、一面では儒家的な経済政策によって果たされ、他面では法家的な立法策によって果たされた。無為の政術、それは当然にも、君主のしわざや国家的な事業を少なくすることで、費えを省く経済的な立場に通ずる。民衆の生活が豊かになってこそ政治の目的は達せられる、とするのは第一の主張である。
→また、ことさらなこと、人間的なさかしらを捨てて、ひたすらに自然な道に従おうとする態度は、一定の法度を立てて万事それに従い、私情や私欲を止める法治主義の立場に連なる。民衆の生活が不当に乱されることがなく安らかになって、ここに政治の目的が達せられるというのが第二の主張である。
・韓非子に見られるような法家の政治思想は十分に利用されるが、法家のそれとは異なる。元々法家の思想は君主を中心とする法治主義であったたため、民衆の心情などを振り返ることはなく、民衆を愚かな無頼者として強制するような中心的な態度であった。
→一方、淮南子ではそのような意味はなく、広く人材を集めて興論に従おうとする思想が著しい特徴である。すなわち、積力衆智の政治思想である。
・快楽を快楽として外に追うのは世俗の立場である。外に惹かれる感情や欲望をできるだけ抑制して世俗的な喜びや楽しみを超越すれば、名誉や財産、そしてまたそれと結びついた地位のためにあくせくと思い煩う必要はなかろう。原道編では、世俗的な快楽を否定して、誠の楽しさの意味を明らかにする。
→まことの楽しさ、それは世俗的な快楽を否定した無楽の境地、自得そのものだという。今や外界の事物、社会的な交わりは問題ではない。我が一身のこと、さらに我が内的な心こそが重要だというのである。
・荘子の精神的観念に対して、老子は現実的行動的だと言える。荘子の中心は逍遙遊と斉物論の二篇であるが、そこには対立に満ちた世俗の束縛を離れて自由な観念の世界に憩い遊ぼうとする精神主義の立場がある。
→ところが老子では、無為を説くのは実は「為さざることなき」万能を得るためであり、無私になるのは「能く私を成し遂げる」ためである。老子の中に、消極的な言葉遣いの裏に、激しい現実的な欲求や世俗的な成功主義の響きを聞くことができる。
→荘子的な真人と老師的な聖人。してみると、淮南子の統一の場はそのまま老荘を統一する立場と言えるだろう。淮南子は老荘を中心とする立場から諸々の思想を折衷した。