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【読書記録】「ルポ 誰が国語力を殺すのか」は、子育て期に読みたかったと思ったことと、人として生きていくために必要な力について考えたこと、感想の備忘録。

今月特に衝撃を受けた本。あくまでも個人の備忘として感じたことを書いていますので、宜しければお読みください。

300ページ以上ある本だったのですが、とても分かりやすい文章に引き込まれ、ぐんぐん読み進みました。

教育機関の現状、そして恵まれない成育環境の子供たちの状況に、胸が詰まる思いもしました。同様に国語力の低い大人たちの存在にも、、、。もしかしたら自分も?と思い、ぞっとしました。

ぜひ子育てを控えている方に、或いはそうでなくても多くの方に読んで頂きたいと思う1冊です。(個人の感想です!)

国語力=生きるために必要な力。いままではぼんやりと語彙力と読解力、表現力という程度の理解でした。

自分は何をしたいのかといった欲求(希望)を見いだすのも、他者と適切な距離を保ち、適切なコミュニケーションを図るのも、そして仕事や育児においては特に自分の感情をコントロールすることに欠かせない要素が国語力、そして言葉。言葉で表現できなければ、それを自分でさえも認識できない。

確かに人として生きていくのに必要な力。

ところで、我が子には大人になって困らないようにとたくさんのスキルを身に付けさせたいと思うのは親心だ。私もできる範囲で、英会話にプログラミングにと、就学前から低学年のうちに子供に色々体験させてきたつもりだ。(当時は無料体験が結構あった。)

親としては初めての子育てにいっぱいいっぱいで、自分の不安解消のためだったのかもしれないと今は思う。

しばらくは後ろの方で見学している私の手前か、頑張ってくれるが、知育系は体験のみで終了。湯水のように使える資金があるわけではないので、興味がなさそうなものを無理強いさせることはなかった。

そのときは大切なことなのに残念だと思ったけれど、本書を読んで、私が考えた「将来必要なスキル」は、彼が大人になったときに本当に必要で、今身に付けておくことで本当に役立つのかな、と考えさせられた。

それ以前の基礎力、自分で考える力を伸ばすことが子供の頃は大事で、それが国語力の向上であり、全ての土台になるのではないか。土台が貧弱なら、上からたくさん被せたところでつぶれてしまう。この考え方に、今は納得できる。

また、国語力の学習は五感をフル活用して幼いころからなされる必要があり、しかも今日なにかして、明日結果の出るものではない。

家庭での、そして教育機関で時間をかけてなされるべきことが、研究論文ではないとしながらも様々なデータや取材インタビューから提起されているのが印象的だった。

そう考えると、残念でならないことがある。

教室の隅でいくつかの水槽に分けて飼育されているめだかや、いくつか条件を変えて育てているらしい植物、壁に掲示されている子供たちが作成したレポートや壁新聞など、たくさんのきっかけが学校にはあった。しかし子どもとはせいぜい「あれ何?」「フーン」だけの軽い会話で終わっていた。

もっとしっかり会話して、学校での学びを深めることができたかもしれない。

筆者はまた、国語力を「心の船」とも表現していて、これも覚えておきたいフレーズ。社会という大海原を生き抜くには羅針盤や動力装置などを備えたこどもたち一人ひとりに相応の船を手にすることが必要だろう。そして私は、人生の節目ごとに、或いは必要なタイミングで、その船のチューニングも必要だろうと思っている。

我が家の子供はもう高校生になっている。彼が生まれる少し前に、国語力について本書に出会えていたならば、子育てへのアプローチはもう少し違っていたのではないかと思う。

視点を自分に転ずると、私は、他者の人生に向き合う仕事をしている。なので、これまでは他者を理解する+自分の考えを押し付けないマインドやスキルの向上に目を向けていた。

スキルの向上も大事だけれども、もっと大事なものを見落としていたのではと冷や水を浴びたような感覚に陥った。

他者の人生に向き合う仕事なのだから、自分自身の人としての生き方にももっと真摯に向き合い続ける必要があるのではなかろうか。

気持ちを読み取り、想像力を働かせて、言語化のお手伝いをする。それに対してスキルを身に付け、経験を積んでなんぼ、だけではなく、そこから新たに自分が学んだ何かを自分で言語化する努力をしてきただろうか。

より「人」として成長し続けていくためにも、子どもたちと同様に、国語力の向上に努める必要があるのではないか、と考えさせられた1冊でした。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。


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