横道誠『創作者の体感世界』を読んだ話。
横道誠さんは大学の准教授として文学を研究しながら、発達障害の当事者(ASD・ADHD)として著作を精力的に執筆されている方です。しかも本業についての本も出されています。
今回光文社新書から刊行された『創作者の体感世界』は、様々な分野で活躍した/している人々の「発達障害っぽさ(特性と思われるもの)」を読み解いて行く本です。
16人が取り上げられているのですが、発達障害の診断を公表しているのは米津玄師さん(高機能自閉症、現在のASD)だけです。昔だと発達障害と言う概念が存在していませんでしたし……。
私自身もASDと診断が下っているので、共感出来る「ASDっぽさ」について語りたいと思います。
ASDは極端から極端に走る!?
映画『銀河鉄道の父』の予告編では、次から次へと新しい事にのめり込む宮沢賢治に父親が振り回される(他の家族も)様子がコミカルに描かれていましたね。映画本編は見そびれてしまったので見たい……。
実際のところ、賢治は極右団体に入ったり仏教に傾倒したり超ストイックな農業生活を送ったりと、信じるものには一直線に向かう傾向があったようですね。
また、与謝野晶子はその時代に逆らうような創作物を発表した事で知られていますが、それも強い信念に従って突っ走ったから。空気が読めない、じゃなくて、あえて読まない(抗う)、なんですよね。
『君死にたまふことなかれ』は、その最たるものだと思います。天皇が国家元首であり、戦争が何よりも優先され軍人として死ぬ事が最大の誉れとされていた時代に、弟の出征を嘆き天皇をも批判する詩を発表したのですから。
ASDはソウルメイトを求める
ソウルメイトと言うとスピリチュアルな話だと思われがちですが、それだけではないんです。
ASDは診断基準の一つに「コミュニケーションの障害」がある事もあり、誰かとわかり合える、心の底から繋がれると思える経験が無い人も多いのではないでしょうか。
だからこそ、心を重ねられる誰かを求めてやまない部分があるのです。そして、そのような関係になれるとしたら同じくASDの特性がある人なんだろうとも感じているのです。
それは、宮沢賢治と妹トシのように。『銀河鉄道の夜』のジョバンニとカムパネルラのように。
また、萩尾望都さんの『ポーの一族』に登場するエドガーとアラン、エドガーとメリーベル兄妹のように。
個人的には、米津玄師さんの曲『灰色と青(+菅田将暉)』の歌詞にも、色をモチーフに離れていても互いを忘れない二人が描かれている事を連想します。
ASDは「心が無い」「他人を必要としていない」などと世間では勘違いされていますが、そんな人間はどこにもいません。ただ、感じ方や表現の方法が非ASDの人々と違っているだけです。そうでなければ、SNSにASDを公表している人(私も含めて)がそれなりに存在している理由がありません。
萩尾さんは特に初期、双子が出て来る漫画を多く描いています。同時に産まれたきょうだいである双子には特別な結び付きがあると考え、物語の中でソウルメイト的に表現したかったからではないでしょうか。
何かを深く知りたい、インスピレーションを表現したい、創り出した物語を残したい。そのエネルギーに発達障害の特性が重なると、そこに創作者の個性が強く現れます。
このような分析は今までも試みられて来ましたが、横道さんのような発達障害の当事者によって行われるのは珍しいですし、新しい価値と共感が生まれるのだろうと思うのです。
※ヘッダー画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借り致しました。ありがとうございました。