ヴィーガンの主張を全力で否定する
どうも、ざぜニストのゴメスです。
最近ヴィーガンなるものが流行っていますよね。
「なにそれ?おいしいの?」というあなたに簡単に説明すると
動物愛護や、環境保護のために動物が生み出すものを一切使用しない人たち
のことです。この方々は、動物を殺すのがかわいそうだとか、酪農・畜産は持続可能ではないという観点から、肉や魚を一切食べず、また、革製品やウール製品も使用しないという生き方を実践している方々です。
まぁたしかに、酪農・畜産が持続可能ではないという意見については一理あると言えます。正確には持続可能ではないというより、カロリーの無駄が多いですかね。
牛や豚を育てるために食わせている穀物を人間に回せば世界の食糧問題は解決するとも言われています。これはなんとなくわかりますよね。あなた自身の体を食糧に見立てた時のカロリーより、生まれてからいままでに摂取してきたカロリーの方が多いというのはイメージしやすいと思います。
とはいえ、彼らの主張にはおかしな点があります。
・畜産動物はかわいそう
彼らは、人間に食べられるためだけに生かされ、育てられている動物はかわいそうだというのです。たしかに、これが自分たちの身に降りかかれば嫌だと感じますよね?だれかに食べられるために自分が生かされていると思うと嫌だと感じる人が大半だと思います。
しかし、動物で考えるとどうでしょう。ヴィーガンは、畜産動物は劣悪な環境で苦痛を与えられながら生きていると考えてています。まず、これは間違いです。
自然界で育った肉はあまり美味しくありません。食べ物が少なく、生きるのに必死だと、肉は、筋肉質で脂の少ない、筋張った固い肉になってしまいます。
逆に、食物を豊富に与え、外敵から逃げる必要もなく、平和に暮らしていると、脂が乗った、柔らかくて美味しい肉になります。つまり、畜産動物には自然界で生きる自由を奪う代わりに、安全な環境を与えているのです。
さて、自然界で自由に生きるのと、農場や牧場で安全に暮らすのとどちらが幸せなんでしょうね。そんなのわかりませんよね。ところで、これを人間に置き換えてみてはどうでしょう。
僕たちは、文明や、法律によって自由は多少奪われながらも、平和に暮らしています。屋外で裸になったり、ひとが飼っている犬を殺して食べたりしたら罰せられますが、そのかわり、道端で歩いていて急に殺されることは滅多にない環境にいます。これってある意味、畜産動物に似ていますよね?
ま、食べられはしませんが。逆に言えば長生きすることを強いられているともいえます。
ジャングルで文明や法律から離れたくらしをするのと、法に縛られながら文明とともに生きるのと。どちらが幸せなんて人それぞれですよね。
自分たち人間の幸せさえ曖昧なのに動物がかわいそうだなんて人間の都合のいい決めつけではありませんか?というか、そもそもヴィーガンは文明を利用して、法のもとに生きているじゃないですか。そんな自分はかわいそうではないのでしょうか。
・天然素材の使用や、酪農・畜産は環境破壊
動物由来の素材を使わないということは、寒い日はウールのコートやダウンジャケットを着ずに石油由来のポリ素材のものを着るのでしょう。これらは環境を破壊しませんか?
なかにはパタゴニアのような100%リサイクルポリエステルを使用したブランドもありますから、これらを着用している分には批判するところはありません。
とはいえ、彼らの住んでいる家は、化学製品と金属とセラミックだけでできているのでしょうか。
それから、農作物を荒らすという理由で駆除されてしまう鹿や猪を無視していませんか?彼らを駆除しなければあなた方の食べ物はめちゃくちゃ減っちゃいますよ?
また、彼らの革や毛皮、どうします?やっぱり死骸は自然に還すべきなんでしょうか?それとも有効利用したほうがいいのか、どちらでしょうか?
・結局ヴィーガンも自己満足でしかない
もちろん僕は、僕の食生活、ライフスタイルがヴィーガンにくらべて優れているとは思いません。僕は僕自身のエゴで、豚も牛も米も野菜も食べますし、犬や猫、ハムスターを可愛がります。しかし、ヴィーガンの方達は我々の食生活は野蛮で愚かなものだと主張してきます。はっきり言ってそれは間違いです。あなたがたがしていることはただのエゴです。僕たちとなんら変わりありません。
それを自覚した上で実践するなり、普及活動をしてください。
別にぼくはヴィーガンそのものを否定したいわけではありません。そういうライフスタイルがあっても別にいいと思います。ただ、彼らの主張にはあまりに激しく、自分たちを正義とし、僕たちのライフスタイルを否定するものがあります。
それに対してものすごい違和感を感じます。これからは多様性の時代です。各々の生き方を尊重することを前提に、自分の生き方を決めましょう。