ひとりは寂しい?を問うた先にあったものとは
実家暮らしも3週目。
人生の43年目の後半戦が
父と老犬と私の3人の、
このシチュエーションとは。
誰も想像がつくまい。
誰がって、毎日私が1番驚いている。
朝は必ず老犬のフローリングを歩く爪の音に起こされる。
携帯のアラーム音に
「フローリングに動物の硬い爪が当たる音」
が、あったら、相当な確率で早々と目覚められると思う。
自分の尻尾を追いかけて、くるくると回る時の足音ならば尚更。
カッカッカッカ
カッカッカッカ
夢見心地の爪の音が聞こえる。
時計の針は、5:51を指していた。
「嘘でしょ、、、」
と、呟き、寝床である少し大きめのソファでしばらく放心。再び爪の音に身体を動かされ、老犬の元へ行くのだ。
後頭部の髪はぺちゃんこ、半分眠ったままの姿の私であっても、
待ってましたー!と、回って跳ねて尻尾の振りも完璧に、老犬とは思えぬはしゃぎようだ。喜んでくれてありがとう。
おかげさまで、朝も早よからどんな自分も気持ちがいいもんだと、自己受容ってやつが上がります。お犬さまさま。
待たせたなと寝ぼけ眼で、
玄関の戸を開ける。
「ふぁい、どぉ〜ぞぉ〜」
と、父のサンダルを引っかけ、
庭へ行けとスタートダッシュをする老犬を待つ。
老犬ブーちゃん(本名ブレイブ)は勢いよく庭へ出掛けて行き、定位置に足を上げる。やや長めの時間をかけて排泄をする。なぜか母のお気に入りの金木犀の根本、そこが定位置だ。
母よ、許せ。
巷では散歩中の犬がかける尿に含まれた塩分により、鉄製の信号機の柱の腐敗が早まり、その鉄柱が倒れたと数年前の話題になったこともあったが、
我が家の金木犀とブーちゃんの相性はピッタリだ。
液体肥料のように栄養となっているはずだ。
だって、実家の金木犀は、どんどん大きくなって、日が短くなった秋の訪れのお知らせのように、晴れやかな日にもさらに輝いていたんですもの。
この愛おしい老犬、朝はとにかく活発で、キラキラとした目で見つめてくる。
数時間後には人間の歩く音にも気がつかない程、寝息を立てて熟睡するなんて想像もできないくらい、くるくる回り、フハッハッハッと息荒く興奮おさまりません犬だ。全身全霊で今を生きているのだ。だもの、省エネモードの切り替えスイッチなんて皆無だ。
老犬の彼とひと通り今日の挨拶を交わすと、ゴミ捨て、掃除、洗濯をしたら、
コーヒーを淹れる。
一連の流れがあって、
ようやく私のルーティンとなる。
ふぅ。
と、ソファに座り込む。
実家と言えど、19年振りですから、
心の構え方は、しばらくシェアハウスだ。
カーテンの開け閉めの時間も
コップやカトラリーの選び方も
ひとつひとつ、なんとなく
一瞬の惑いを繰り返しながら、
3週間が過ぎた。
飲み口の厚みにも、これも悪くないなと慣れたりして、3週間が経ってみると、我ながら順応性の高さに驚いている。
なんだか寝付けやしないと寝相を変えたあの日がどこか遠くへ行ってしまった。
淡々と毎日が過ぎて、
イケイケ老犬とのやり取りから1日が始まり、私は何日も何日も「ひとり」を味わっている。
朝の鳥の囀りも、
途中に降る雨も、
雨上がりの青空も、
窓ガラスにあたる風も、
ゆっくりと日が暮れて、
陽の角度が変わり、
気がつくと部屋の中が暗くなる瞬間も、
カーテンを閉めて電気を灯す夜の始まりも。
その全部をたったひとりで数日間味わってみたら、今まで感じたことの無い感情に辿り着いた。
不思議なことに
一時の孤独感の先にあったものは
「私のやりたいように生きていい」
という
感情だった。
この世界は本当に不思議だ。
見えるものから受け取れることよりも、見えない感覚や感情を知り、それを感じ切ることの方が、次への一歩に進めている。
虚しいとか寂しいとか。
静寂の中で湧き出た感情の先にまだ感じる世界があるなんて。
迷いから脱け出した真理がそこにある、悟りを開くにも似た感覚。
心は迷うから、面白い。
そこに辿り着くまでは
依存という幻想もある。
あなたがいるから私はしあわせ
より
あなたといても私はしあわせ
の方が
実は遥かに生きやすい。
ひとり
を、知り
ひとり
の、続きを知った。
ひとりを不幸だと嘆くことより
在るを知ること。
私は今ここに生きていることを
目に映し出されるもの、
私を取り巻く彼らの
存在に気づくことができている私は
とても幸せなのだと気づいた。
だから、夜が来ることも怖くない。
暗闇の中に
ひかりがある。
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