読書レビュー⑳『政治の世界 他十篇』(丸山眞男)
第50回衆議院議員総選挙があったということで、久々に本棚から引っ張り出して読んだのが、丸山眞男の『政治の世界 他十篇』。
元々は年代も掲載場所も異なるが、「政治」に関する論考のみを集めた本。
無論ここから漏れた論考も多いが、「政治とはなにか?」を正面から考える上では初心者でもわかるものも多く、示唆に飛んだ論考が集められている本である。
感想
この作品の立ち位置
丸山眞男は専門である日本政治思想史の部分を『本店』、政治学の部分を『夜店』としてわけ、戦後の一時期を除いては専門の日本政治思想史の研究をしていた。
しかし、日本の政治学において死後もなお多大な影響があるのは、『夜店』の政治学において功績を残したからと言える。とりわけ『現代政治の思想と行動』は戦後の超がつくロングセラーであり、収録されている第一論文の「超国家主義の論理と心理」は、不朽の名作なのは間違いないだろう。
今作の『政治の世界 他十篇』は、その『夜店』の中でも、政治理論について書いたり、話したものを集めた本である。
なお、『夜店』の中から当時の現代政治分析の論文をピックアップしたのが、『超国家主義の論理と心理 他八篇』である。
また、『本店』、『夜店』関わらず丸山の代表的な論考を集めたのが、杉田敦編集による『丸山眞男セレクション』である。なお、これには編者の杉田による解説がついており、より丸山の思想が理解しやすので、初心者にはお勧めである。
『政治の世界 他十篇』について
繰り返しにはなるが、「政治」に関する論考のみを集めた作品であり、「政治とはなにか?」を正面から考える上では初心者でもわかるものも多く、示唆に飛んだ論考が集められている作品である。
詳細および全体については、編集者の松本礼二の解題と解説を読んでほしいが、この作品はもとの原文の丸山による注だけでなく、新たに編者による注が追記されており、その当時を知らない人が読んでもその背景や詳細がわかるようになっているので、より理解が進むと思う。
この『政治の世界 他十篇』収録されている作品は以下11篇である。
今回はこの中から「政治の世界」、「政治学入門(第一版)」、「政治的判断」の3篇について書いてみる。
「政治の世界」
「政治の世界」は、東京大学教養学部で1965年に丸山が開講した「政治学」講義で、これと同様の話をしたことが、『丸山眞男講義録 第三冊 政治学 1960』の渡辺浩による解題で言及されている。実際には、講義録第三冊の第二講→「政治の世界」→講義録第三冊の第三講→同第四講の順で話したようである。
「政治の世界」は、丸山がラスウェル等の当時のアメリカ政治学の研究を消化した上で、政治権力の再生産過程の循環モデルを提示するという丸山の政治理論研究のエッセンスが詰まった作品となっている。
「現代を政治化の時代と呼んでいる」というカール・シュミットに依拠した言葉である本作であるが、最終的に政治的無関心が最大の問題であると述べている。そして、その解消のためには「国民の生活条件自体が社会的に保証され、手から口への生活への」ゆとりが必要であるが、それ自体も天から降ってくるわけではなく、「日常的な努力と闘争の蓄積」によって得られるとし、それは読者の決意と選択次第であるとしている。
ウェーバーやシュミットなどを使いつつ、理論の裏付けが歴史的事例をまぜこみつつ提示されており、説得力がある説明となっている。
「政治学入門(第一版)」
上記の「政治の世界」よりわかりやすいのが、「政治学入門(第一版)」であると思う。
ここの入りは、先日まで放送されていたNHKの連続テレビ小説『虎に翼』でも話が出てきた初代最高裁判所長官の人事問題について候補者の一人が丸山に「どうすれば自分が最高裁判所長官になれるのか、教えてほしい」と訪ねてきたが、丸山は大学の政治学はそんな政治的な術策を教える場ではないと断るも、マキャベリの本を貸したというエピソードから始まる。このエピソードが政治学、さらには政治の構造を考える上で重要な問題を含んでいると丸山は述べる。
丸山は「政治」の構造を考えると「権力」、「倫理」、「技術」の三側面があり、それが一つの立体を構成するときに「政治」が出現するとしている。そして、三側面の比重関係が重要だが、それは環境と状況によって変化し続けるものであると述べている。この三側面については、他の作品でも繰り返し言及されているが、当作品が一番コンパクトにまとまっていると感じる。
これを念頭に政治学とは究極において「人間学」であり、政治現象を人間行動の力学として捉えていく必要があるとし、日常的な行動こそが政治的なものに繋がっていると述べており、それに気づいていくことの大切さを述べている。
「政治的判断」
「政治的判断」は信濃教育委員会上高井教育会総会で講演したものを『信濃教育』第八六〇号に改めて掲載したもので、一般の人を相手に政治について語ったものであるため、その当時の具体例をあげつつ、平易な言葉で説明されており、上記2つの論文より非常にわかりやすい文章となっている。ここでは人々がどのように政治というものを認識し、どのように政治的判断を下していくべきかということを説いている。
具体的には、現実とは「可能性の束」であり、その中からどれを伸ばしていくのかを検討することで、方向性を見出していくのが政治的認識を伸ばすことであり、政治的な選択であると述べている。
また、政治にはベストを求めるのではなく、ベターを求めるべきであり、それは福沢諭吉のいう「悪さ加減の選択」であるとしている。政治にベストを求めてしまうとそれが達成されなかった場合、失望に転化しやすいと指摘している。その上で悪さの程度がより少ないものを選んでいくことが大切であるとしている。
また、長期政権が腐敗、堕落を生むのならば「その惰性を破るために反対党を伸張させる」といったような「全体状況の判断」が必要であり、その反対党も悪いであれば次の選挙で落とす。この悪さの程度をより最小限にし、自分たちの生活の安定に繋げるための判断の繰り返しこそが、デモクラシーであると述べている。
また、主に新聞を中心にしたマスコミによる厳正中立の立場からの批判は、政治的無関心を助長するだけであり、逆に政治的判断を未熟にしていくと批判している。
つまり、丸山はしっかり批判、反対することが政治の過程として重要であり、政府の政策もかわっていきよりベターな世の中になっていくのであると考えているのである。
このような議論はその当時だけでなく、今日の政治状況を考える上でも非常に示唆的であり、丸山の考える政治理論が現代にも通じるに値するといえる所以でもある。
まとめ
3篇をピックアップしたが、以前より政治に向き合う機会が現在において目の前の政局が政治と捉えがちだが、実際はそうではなく、ちゃんと「政治」というものの側面を捉え、考える必要があるということを丸山は語りかけてくる。
この意味において丸山が書いたものは風化するものではなく、読み返す価値があるものであるといえるであろう。