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「転職ばっかりうまくなる」を読んで自分の職歴を振り返る

ひらいめぐみさんのエッセイ、「転職ばっかりうまくなる」に感銘を受けた。20代で6回も転職をした著者の自伝エッセイで、帯には「圧倒的成長をしてくない人のための、ドタバタ転職のすゝめ。」とある。

本の中で語られているのは、キャリアを積み上げていくための転職ではなく、自分が自分らしくいられる環境を求めての転職である。世間的には、職を転々とするのは、「堪え性がない」「根性がない」「計画性がない」と捉えられ、社会人としてマイナスのレッテルを貼られがちだと思う。しかし、ひらいさんは自分の素直な心に従って、合わないと思った職場は辞めていく。そして何度かの転職の後に、自分が働きやすい環境を最終的に手にすることになる。

ここで私が赤ベコのごとく頷きまくって共感した部分を抜粋する↓

キャリアプランはどう考えているのか、と言われても、仕事で最低限のお金を得ながら、なるべくごろごろ過ごしたいとしか思っていない。そんなことを正直に言ったら怒られるのでさすがに言わなかったが、やりたいことなんてなかった。「成長」という言葉もよくわからなくて、前職でもやたらと成長を求められる機会が多かったが、会社はいったい、なにを期待しているのだろう。わたしはわたし以外の人間にはなれないし、できないことを無理にやってみても、人より時間がかかって足を引っ張るだけである。頑張らなくていいことを、無理して頑張る必要はないのではないか。大人になったわたしは、成長しない。苦手なことを乗り越えたとしても、それは「克服」なのであって「成長」ではないのだ。

「転職ばっかりうまくなる」より

ときどき「転職=年収を上げる手段」と言われることがある。転職することで年収を上げていかないと生涯年収がなんたら、みたいなことをこれまで何度か耳にしてきた。お金の匂いをかいで空腹をしのいだ経験があるので、人生においてお金がいかに大事なのかは、身に染みて理解している。お金はたくさんあるに越したことはない。でも、人生の大部分を占める仕事を、お金のために選ぶのは、なんだが違うと思うのだ。納得いかないことやみじめな気持ちになるようなことをやらなくてはいけないとしたら、そんなことに人生の大部分の時間を費やすことの方がもったいない。

「転職ばっかりうまくなる」より

就職と転職を繰り返す中で、ひらいさんが働くことに対して純粋な気持ちで疑問を投げかけている様子に「わかりみ…」の連続だった。私もキャリアではなく環境で働き口を探したタイプだからだ。

私の就職&転職遍歴

ここで一旦本の感想を置いておいて、私の就職と転職の話をさせて欲しい。私は就活をせずに就職し、20代のうちに2回、畑違いの仕事で転職している。

就活せずに地域おこし協力隊になった

大学3年で就活が始まったときに、周りが一斉にスーツを来て会社説明会や採用試験に臨んでいる姿にどうしても馴染むことができなかった。たかだか20数年生きてきて、社会のなんたるかを知らないのに、なぜ半永久的に勤める会社を決めなければならないのか。自分はこの職種が向いているとか、ここの会社にふさわしい人材であることが、就活サイトでポチポチボタンを押した程度の自己分析でなぜ分かるのか。スーツを着て電車に乗っているサラリーマンたちは皆死んだような目をしている。駅のホームで電車を待っていると、たまに人身事故で遅延の情報が入ってくる。あんなに生き生きとした学生時代を送ってきたはずの人たちが、就職をして数年経つとくたびれて、うっすら人生に絶望を抱いているように見える。私も就職をしたら、同じようになってしまうのではないか。なにかこのルートを回避して、自分の感性を失わずに生きていける方法はないものだろうか。そう思ったから就活をせずに、自分の人脈だけを頼りに模索した結果、地元でも東京でもない片田舎にIターンし、地域おこし協力隊になった。この協力隊での活動は現役自体に過去のnoteにも書いてあるので載せておく。

地域おこし協力隊として着任してからは、自治体との対立、地域とのミスマッチ、自分のスキルの無さからの迷走、などなど協力隊が直面する課題は一通り体験するも、人に恵まれて楽しく活動できた。協力隊の仕事は好きなことができて、やりがいもあったのでずっと続けていたかったが、3年間の任期だったため、任期満了後の就職先を探すこととなった。

協力隊は副業も可(むしろ任期満了後も地域に残る土台作りのため副業推奨)だった。私は話すことが大好きだったので、協力隊の傍ら、ローカルラジオ局のラジオパーソナリティとしても活動し、生放送番組のDJやイベントの司会などをしていた。これもめちゃくちゃ楽しかったが、月給ではなく時給制なので、週に1,2回の2時間番組に出ていても収入が月に1万円程度しかない。さすがに生活していくことができないので、協力隊の任期満了とともにラジオパーソナリティも卒業した。

花屋に就職

協力隊の任期満了後、すぐに花屋に就職をした。畑違いの仕事だが、当時は私なりに考えてのことだった。まず、協力隊の名残で「地域おこし」「地域貢献」につながる活動がしたかった。自分の労働力を捧げて、そこで得た給料は生活費として地域に落とし、また労働力を捧げる…。そうすれば労働と経済の循環が生まれ、自分の活動が地域のためにつながると考えた。なので、働く場所はその地域で一番賑わっているであろうメインストリートにある職場で働こうと思った。

次に職種を考えたときに、地域に根ざしている仕事なので小売業が良いと思った。もし今後自分が何かの形で独立することになれば、小売業だと商売のやり方が参考になるかもしれない。

そして、やるならば自分が全くやったことのない仕事が良い。協力隊は「好きなことを仕事にする」内容だったが、自分の好きなことだけをやっていると、自分の世界だけで完結して幅が広がらないような気がした。自分の意志とは関係なく仕事が舞い込んでくる環境に身を置くことで、仕事のなんたるかを肌感覚で理解したい。きっと行きたくない日もあるだろう。憂鬱な朝もあるだろう。でもそういうネガティブな経験をしたほうが、色んな人の気持ちに寄り添える人間になるのではないか。

とはいえ、全く興味のない仕事をして続かなかったら意味がないので、ある程度は選びたい。当時私は家に生花を飾るのが好きだった。スーパーでちょっと花を買って花瓶に活けるだけで、ご自愛している気になるからだ。仕事で疲れても、花がきっと癒やしてくれる。サービス業だから土日関係なく働くことになるが、生活の大半をする仕事が好きな分野であれば頑張れる。

そうやって自分なりにいくつか条件を立てた結果、地域の花屋で働くことにした。しかし、結論から言えば失敗だった。1年ちょっとで辞めることとなった。

仕事の内容自体は楽しかった。働く人もたいがい良い人で、社長とは軽口を叩き合えるほど仲が良かった。だけど続かなかった理由として主に2点挙げられる。

まず、サービス業でシフト調整可能と言われても、なかなか思うようにいかないこと。基本的に連休を取ることができず、ようやく取れても2連休。さらに、次の休みが取れるまで11連勤ほど働くようになる。私は地元が車で3時間ほどの場所にあり、実家に帰ることができなくなった。自分が年齢を重ねると同時に親は老いていく。家族との時間を過ごせないもどかしさを感じた。

もう一つが、従業員の中に、常に不機嫌な人が一人いたことだ。不機嫌な人は影響力が凄い。下手したら人格者よりも集団に与える影響力は強いのではないかと思う。気にしなければいいのだが、従業員が少数なので絶対に関わらなければならず、会話をするときにどうしても萎縮してしまう。口内炎ができたときに、なるべく患部に食べ物が当たらないように食べようとすると、味わうどころではなくなるように、他の従業員たちもその人を避けるため、慎重にコミュニケーションを取るようになり、職場の雰囲気が暗くなった。そんな日々を送るうちに、いつしか、朝起きたときにまず仕事のことよりも、相手が不機嫌かどうかが気になるようになった。寝付いても夜中にそのことで目が覚めると眠れず、そのうちに肌の色んなところが痒くなり、顔も化粧水が染みるほどの肌荒れを起こした。

自分で決めた道なので頑張ろうと思ったが、その他些細なトラブルや、職場に対して思うことがあったりして、1年と少しで次の就職先も決まらないまま、辞めることになった。

失業手当をもらい、資格の勉強をする

無職になった。無職は凄い。朝何時に起きても良いし、夜何時に寝ても良い。自由だ。めちゃくちゃ向いている。だけど問題が一つ。お金が飛んでいく。主に税金だ。今まで会社が負担していた保険料やら年金を自分で払っていくと凄い金額になった。コロナ禍のおかげで自己都合退職でも失業手当はすぐに降りたが、それでもとんでもない金額が毎月引き落とされて震えた。

ハローワークで求人を見るが、田舎なのでとにかく条件に見合った求人がない。さらに自分には大した経験もスキルもない。なんとかならんかと考えていると、求人広告で医療事務の講座が開講することを知った。未知の領域だったが、田舎でも病院はそこら中にあるので、資格を取っておいて損はないだろうと思った。食いっぱぐれることだけは避けたかった。

医療事務の講座を3ヶ月間受講した。受講中に、講座を運営している関係者から、就職の斡旋を受けて病院の事務に就職することが決まった。就職の方が先に決まったので、そのときは資格を取っていなかったが、その後資格も取得した。

医療事務に転職、今に至る

病院で事務をするようになった。正直やりたい仕事ではなく、食いっぱぐれないために始めた仕事だ。病院は毎日患者さんが殺到し、目の回るような忙しさだった。当時はコロナ禍だったので、発熱外来や特設の電話対応もあり、研修も十分にできないまま業務をこなす日々。残業もあり、今まで経験した仕事で一番業務量が多いにも関わらず、賃金は一番安かった。それでも連休が取れることと、人間関係が良かったことが救いだった。しかし、業務量と賃金の見合わなさからやっぱり転職をしたいと思い、転職活動を始めた。

医療事務をしながら、転職活動を続けていたが、あるときから「もういいや…」と思うようになった。何社か面接を受けたうちの1社で、面接官に「簿記はできる?英語はできる?教員の免許は持ってないの?(教育学部なので聞かれた)」という問いに対して全部「できません」「持ってません」と答えていたら「じゃあ大学で何やってきたの?」とせせら笑われたのだ。そこでさらに何かPRすればよかったのだが、思わず「そうですよね〜」と笑ってしまった。面接官に辛口なことを言われたことよりも、自分で自分なりに考えて選んできた道を、自分自身で否定してしまったことにショックを受けた。そこから自分は就職と転職に失敗した、しくじった。と強く思うようになった。このことは、過去のnoteにも「働き方につまづく」という表現で書いている。

転職活動も頓挫し、自分の進路選択を恥じ、さらには自分自身の過去全体を否定しながらも、今の仕事は今までで一番長く続けられている。その理由は、仕事を続けることが、これまで自分の怠惰な性格で、迂闊な進路選択をしてきた贖罪だと思っていたからだ。でも、ひらいさんのエッセイを読んで、その考えが変わってきた。


人生の舵を握っているのは誰?


自分の就職、そして2回の転職について、失敗したとずっと思っていた。新卒という一度しかないチャンスを棒に振り、学歴も生かさずキャリアも積み重ねなかった。現状を打破したくて面接を何回か受けるも、ことごとく上手くいかない。公務員などの採用試験も受けるが、勉強も対して頭に入らず全て一次試験で不合格。SNSで同級生の投稿を見ると、持ち物や交友関係から明らかに収入が自分とは違う。かつてスーツを着て一斉に就活を始めた彼らに違和感を抱き、自分は違う方法で仕事を見つけ、自分なりに楽しくやってきたつもりだったが、今の現状と彼らとを比較すると埋められることのない差ができていた。その焦りの中、面接官にせせら笑われて何も言えなかったあの瞬間から、自分は取り返しのつかない失敗をしたのだと思い続けるようになった。

しかし、ひらいさんをエッセイを読むにつけ、そんなことはないのではないか、と思うようになった。ひらいさんの転職活動には、絶対のし上がってやるというど根性精神や、成功して過去のパワハラ上司を見返してやるといった野心は全くない。その代わり、自分の気持ちに正直であること、辛い、辞めたいという気持ちに見て見ぬふりをしないこと、例え自分にできないことや他より劣っているものがあっても、そんな自分を認めて受け入れることのできる素直さをひらいさんのエッセイから感じたのだ。

それでも、人生がレモンの輪切りと同じとは思いたくないのだ。経済的に恵まれた家庭ではなくても、偏差値の高い大学に入れなくても、なかなか自分が長く働ける会社が見つからずに転職を繰り返しても、人生の舵を握っているのはいつでも自分で、追い風が吹けば、ぐんと前に進むチャンスがあるのだと。生まれたときから人生はある程度決まっているよね、と自分が世の中に見切りをつけてしまったら、そういう人たちだけが生きやすい社会にしかならない。誰だってチャンスがあるし、それは出自とはまったく無関係なものだ。そのことを、いつかわたし自身の人生で証明することができるだろうか。

「転職ばっかりうまくなる」より

私はここの部分を読んで、「ああ、自分は勝手に腐って、勝手に諦めていたんだな」と思った。他と違った進路を歩んだことを「失敗」と決めつけて、罪滅しのように今の仕事を続けているのは、紛れもなく自分自身が人生の舵取りを放棄している証拠だ。例え、新卒で就職しなくても、転職を繰り返して収入が上がらなくても、ひらいさんのような素直さで、自分に合う環境を探し続けることが大事なのだと思った。


自分自身を極める


ひらいさんは、数回の転職活動の後にフリーランスとして独立し、現在はライターと作家をしている。ひらいさんは、過去の転職活動を経て見つけた現在の働き方を「自分自身を極める」と表現している。

だけど、ほんとうに極めるべきは、職業ではなく「自分自身」なのだ。(中略)自分自身を極めるのは、容易なことではない。まず自分がどんな人間なのか、本人が正しく認識していないといけない。嘘はつけない、ということだ。

「転職ばっかりうまくなる」より

では、自分を極めるためにはどうしたらいいのか。それは、自分が少しでも違和感を抱いたら、ひとつひとつきちんと距離を取っていくことだと思う。(中略)仕事を辞めるのに、社会に向けて正当な理由はなくていい。なんとなく合わないから、という理由でも、それで自分が自分を極めることになるのなら、立派な退職理由だ。わたしもこの先、自分がなんの仕事をしているか想像がつかない。ライターと作家の仕事を続けているかもしれないし、全然違う仕事をしているかもしれない。どんな仕事に就くかよりも、自分がみじめにならないこと、自分自身を極められることを選ぶのが、なによりも大切なのではないかと思う。

「転職ばっかりうまくなる」より


仕事は人生の一部であって、全てではない。だけど、自分の時間と労働を費やしている以上、どうしたって人生と結びついてしまう。仕事を通して、自分自身を極めていくためには、自分がどんな人間なのか、何を大事にしたいのか、何ができて、何ができなくて、何がやりたくないことなのか、自分に嘘をつかずとことん見つめることだと思う。そして、これだと思ったら行動に移していく。それが、自分の過去の失敗を、失敗ではなく過程に変換できる方法だと思う。

総括

ひらいさんのエッセイを読んで、私ももう一度自分と対話してみようと思った。今の仕事のおかげで、連休を獲得したり福利厚生の恩恵を受けることもできているので、今すぐにでも仕事を辞めよう!とか転職しよう!!とはならないけれど、まずは自分に素直になろう、と思った。

自分が自分であるために日々大事にしているものはなんなのか。自分ってそもそもどんな人間なのか。その答えが出たときに初めて「自分自身を極める」一歩が踏み出せるはずだ。そうすれば、過去の自分に対して、胸を晴れる日がいつか必ず訪れると思うのだ。



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