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【書評】「人間愛」の正体――『子どもたちは夜と遊ぶ』
大学生の木村浅葱は、「ⅰ」と名乗る人間が仕掛けるゲームに巻き込まれる。そのゲームとは「無差別殺人」。ターゲットの命を奪い、次のターゲットとなる人間のヒントをクイズ形式で出題。「ⅰ」と浅葱は交互に、クイズの答えに合致したターゲットの命を奪いあう。「ⅰ」の正体が幼少期に生き別れた双子の兄・藍であるとにらんだ浅葱は、「ⅰ」との再会を果たすべく、冷酷で卑劣なゲームにのめりこんでいく――。
「ゲームを完遂し、『ⅰ』との再会を果たす」。あまりにも自分勝手な理由で人の命を奪い続ける浅葱。「ⅰ」に対して募る思いと、既存の人間関係のはざまで葛藤する浅葱に待ち受ける末路。そして、冷酷かつ卑劣なゲームを首謀した「i」の正体……。
序盤から中盤にかけて伏線が張られ、その伏線が終盤に怒涛の勢いで回収される。上下巻合わせて1000ページ超とボリューミーだが、終始スピーディーかつメリハリの効いたストーリー展開で、読者を飽きさせない構成となっている。浅葱の心情の変化や、浅葱を取り巻く友人たちの関係性も丁寧に描かれており、人間ドラマとしても読みごたえがある。
他者の人生に介入する覚悟
とりわけ注目に値するのが、「愛」という人間の根源的な欲求が緻密に描写されている点である。よりかみ砕いて言うなら、「人間愛」の正体。親子でもきょうだいでもない、赤の他人に対する愛。本作は、そんないつの時代も変わらない、普遍的な人間愛の理について詳細に描いている。
人間愛の正体とは何か。本作を読了したうえで私見を述べるとすれば、それは「覚悟」であると思う。敷衍して言うなら、「他者の人生に介入する覚悟」だ。例えば、マルチ商法にハマった友人との縁を切るのではなく、説得して更生への道を示すというように、覚悟を持って他者の人生に介入すること。この一連の働きかけにこそ、人間愛の本質が凝縮されているのではないか。
本作でも、終盤にある人物が浅葱を更生させようと説得を試みる。浅葱が殺人犯であることを察知したその人物は、自らの身を危険にさらしながらも、浅葱と向き合うのだ。これは並大抵の度胸でできるものではない。ここにあるのは、血にまみれた浅葱の人生を、より良い方向に向かわせたいという欲求であり、その背後には、自分の身を危険にさらしても浅葱の人生に介入したいという覚悟がある。
人によっては、その行為は「エゴイズム」に映ることだろう。単に正義を振りかざしたいだけ。他者の思考と行動をコントロールしたいだけ。親子でもきょうだいでもない、赤の他人の人生に介入するのは、際限ない自己顕示欲と支配欲の発露、すなわちエゴではないか、と。
ただ、世の中には自己の利益をなげうってでも、他者を尊重する人物が往々にして存在する。本心から、悪の道を進もうとするものの手を引き、軌道修正しようとする人間がいるのだ。本作で言えば狐塚や月子、秋山や萩野といった浅葱を取り巻く人物たち。彼らは底抜けの優しさを持って浅葱と接する。その一挙手一投足に、人間愛の本質が色濃く表れているのだ。
さて、そんな「愛」にふれた浅葱には、いかなる未来が待ち受けているのか。それは、ぜひ本作を手に取って見届けてほしい。