【書評】人は「何者」にもなれない――『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』
東京都港区芝公園4丁目――。
正式名称が「日本電波塔」である東京タワーは、電波塔としての役割を東京スカイツリーに譲ってからも、今なお東京のランドマークとして芝公園のほど近くに屹立している。
1945年の敗戦から高度成長期を経て、世界有数の経済大国となった日本。58年に完成した東京タワーは、そんな技術的進歩と経済成長を実現するためのプロジェクトとして始動した経緯がある。そういう意味でも、東京タワーは「復興と繁栄のシンボル」と表現しても、決して言い過ぎではないだろう。
虚無と絶望のショートストーリー22編
覆面作家・麻布競馬場による本作は、そんな繁栄とは対照的に、「敗北」の苦渋を味わった人々を描いた文学作品だ。光の差すところには、必ず影が生まれる。成功者にあこがれ、夢と目標をひっさげて上京するも、にっちもさっちもいかない現実に直面し、絶望する。そんな“敗北者”に焦点を当てたショートストーリーが22編収録されている。
その多くが救いのないバッドエンドの物語。読んでいて決して気持ちの良いものではないが、読後の虚無感や後味の悪さがクセになるのもまた事実だ。
表題作「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」で描かれているのは、地方の大学から東京の会社に就職したサラリーマンの鬱屈した日常である。
「港区」というブランドにあこがれ、南麻布という一等地の、家賃9万円の安アパートに住む主人公。自分磨きに高額のお金をかけ、マッチングアプリで日々東京の女性と会うが、決してモノにできない。年齢も30を超え、威勢の良さはいつしか虚勢へと変わってしまった。文体からにじみ出る主人公の諦念と悲哀が生々しい。
突出した才能を持たない青年の、ひたすら夢を追いかけるさまを描いた「僕の才能」。何をしても大成しなかった主人公が、一縷の望みを託してある一つの夢を追う。そんな彼に待ち受けている未来とは。「夢」と「呪い」が表裏一体であることをシニカルに描いている。
「真面目な真也くんの話」もイイ。社会の矛盾と人間のイヤな部分が、わずか7ページのストーリーに凝縮されている。「したたかで世渡り上手の人間」の方が、「真面目で不器用な人間」よりも相対的に幸福を享受している社会。その社会のなかで、どうすれば「真面目」な人間が幸せを掴めるのか……。思わず考えさせられた。
「若者」と「中年」のはざまで
本作のストーリーに通底しているのは、主人公が「若者」と「中年」のはざまにいるという点。そんな彼/彼女が、夢や希望、根拠のない自信や全能感にあふれていた若き日を懐古するという点にある。
ハタチの若者には、無限の選択肢と可能性にあふれた未来が待っている。どの会社に勤めるのか、いかなる仕事でお金を稼ぐのか、誰と恋愛し結婚するのか、どんな家庭を築くのか――。若ければ若いほど、人生を彩るライフイベントが無限に用意されている。どの道を選ぶかは本人の自由だ。若者特有の根拠のない自信や全能感の源泉は、こうした無限の選択肢と未来の不確定性にある。
これがアラサーに近づく/アラサーになると話が変わってくる。年を重ねるにつれて、人生における選択肢の幅が一気に狭まるからだ。そのうえ、「社会」のルールや理を体感したことで、自分自身の可能性とその限界にも気づいてしまう。
本作の主人公たちが抱える苦悩の原因はこのギャップにある。根拠のない自信と全能感ゆえに、「何者」かになれると確信していた在りし日の自分。それが誤りであることに気づいた今の自分。そして、それを認められない/認めたくない自分がすがったのが、東京という場所にほかならない。
東京という場所は、「何者」でもない自分を、「何者」かにしてくれる――。本作の登場人物のように、東京という場所が放つ絢爛な光は、多くの人の目をくらませてやまない。とはいえ、人間の価値は場所に決定されるものではない。東京という地が自分自身の価値を保障してくれるなんて、まやかしでしかないのだ。
東京は自分を「何者」かにしてくれないこと。そして何より、自分が「何者」でもないことを受け入れたとき、新たな人生の幕が開く。「何者」かにならなくても幸せを掴むことはできるのだ。バッドエンドを乗り越え、ハッピーエンドを手繰り寄せるための一歩は、そんな前向きな諦めから始まる。