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【書評】現実とフィクションの"あわい"――『SFアニメと戦争』
本書は近現代の戦争や国際政治の動向を、日本のSFアニメーション作品を参照しながら解説している。
生粋のアニメファンであり、防衛省のシンクタンクである防衛研究所で防衛政策研究室長を務める著者が、実際の戦争や国際政治学の理論と、SFアニメ作品で描かれる世界観やストーリー展開、武器・兵器を比較し、現実とフィクションの相違点を論じている。
戦争論と作品解説が共存
巷には、「〇〇(作品名)に学ぶビジネス」「××(キャラクター名)に学ぶリーダーシップ」といったように、アニメを題材に現代社会やビジネスを分析する趣旨の書籍が多く流通している。
が、こうした書籍では、もっぱら個別のエピソードの描写やキャラクターの発言・行動にフォーカスしており、作品全体の設定や世界観には触れない傾向にある。作品はあくまでも著者の主張を補強するためのツールであり、作品を読み解くことはこうした書籍の範疇ではないからだ。
本書が巷の類書と異なるのはこの点にある。つまり、実際の戦争や安全保障に関する理論解説と、SFアニメの作品分析の両方が実践されているところに本書の独自性がある。書籍のタイトルが『SFアニメで学ぶ戦争』ではなく、『SFアニメと戦争』なのも納得だ。
フィクションで描かれる戦争との違い
前置きはこれくらいにして、そろそろ本書の内容に踏み込んでいこう。
日本のSFアニメでは、もっぱら戦争に巻き込まれる人間の心理描写を丁寧に描いている一方、「なぜ開戦に至ったか」といった政治的意思決定が捨像されている、と著者は指摘する。『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』『新世紀エヴァンゲリオン』など、戦争をモチーフにしたアニメ作品は枚挙にいとまがない。そして、その多くは主人公を含む“ヒト”が戦争を通じて直面する冷厳な現実といかに対峙し、何を得た/失ったかにフォーカスしている。
一方、なぜ戦火を交えるに至ったか、開戦の回避や和平に向けた国家間の交渉など、戦争をめぐる政治的な動向については、SFアニメにおいては希薄化して描かれる傾向にある。
『戦争論』をものしたプロイセンの軍人・クラウゼヴィッツが、戦争を「政治の道具であり、彼我両国のあいだの政治的交渉の継続であり、政治におけるとは異なる手段を用いてこの政治的交渉を遂行する行為である」と定義したように、戦争はあくまでも政治的目標を達成するために行使される交渉手段の一つ。こうした政治的意思決定は、ことアニメ作品においては具体的に描かれるケースは少ないと著者はいう。
SFアニメにおける戦争や、戦争を防ぐための方法論は、数多くの主権国家が併存し、民族や宗教の対立が理由となって多くの戦争が発生している現実の世界とは大きくかけ離れていると指摘せざるを得ない。戦争を防ぐための努力として重視されるのは、(略)人間同士の相互理解の増進であることが多いし、軍事力が必要だとしても、ハイアラーキーな秩序による上位権力からの武力の抑止というかたちがしばしばみられる。これは、いずれも、現実世界の戦争とは大きく乖離しているのである。
とはいえ、学術的に正しいとされている戦争観を、アニメ作品で具体的に描く必要はないと著者は付言する。エンタメとはあくまでも創作であり、作品に込められるべきは作り手の思いや願い、社会に訴えかけたいメッセージだ。そしてそれは言うまでもなく、作品に登場するキャラクターの言葉や行動を通して描かれる。
つまるところ、戦争をめぐる政治描写は、こうしたメッセージが希薄化されない程度に描かれるべきというわけだ。これはアニメに限らず、戦争を描くあまねくエンタメ作品に言えることではないだろうか。