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【書評】「普通」という価値観への疑問――『コンビニ人間』

 本作が投げかけるのは伝統的価値観への疑問だ。学校を卒業したら正社員として働く。結婚・出産を経て温かい家庭を築く。孫にも恵まれ、定年後はまったりとした余生を過ごす。大多数の人間が送るであろう生活。

 しかしそれは括弧つきのものでしかなく、「普通」からはぐれる者も一定数いる。本作がフォーカスするのは、そんな「普通でない」存在だ。 

「普通」の生き方に一石

 主人公の恵子はコンビニバイト歴18年のフリーター。感受性や共感性が他人と比べて鈍く、幼いころから浮いた存在で、大学1年生で始めたアルバイトを今も続けている。

 これまでの人生でまともな恋愛をしたことはない。そんな恵子に、周囲は「大学を卒業したら正社員になり、年を重ねたら結婚する。これが普通の生き方だ」と言わんばかりにプレッシャーをかける。

 絶妙なのは周囲が無意識に圧をかけてくるところだ。「なんでアルバイトを続けているの?」「就職活動した方がいいよ」「結婚しないの?」「いい人紹介してあげようか」など、両親、きょうだい、友人は良かれと思って恵子に語りかける。

 この人間関係の描写が特に優れている。なかでも恵子とバイト先の同僚との距離感は出色だ。感受性の鈍い恵子も、バイト先のコンビニではきびきびと働く。レジ打ちや品出し、発注などをテキパキとこなし、常連客との世間話も難なくこなす。

 店長や先輩・後輩からの信頼も厚いが、それはコンビニの中だけの話。ひとたびコンビニの外に出ると、やはり「普通でない」存在としてみられる。彼らは定期的に飲み会を開いていたが、その場に恵子を誘うことはしなかった。彼女とはコンビニの中だけの付き合いで、プライベートな関係性を持ちたくないという意思が伝わる秀逸な描写と言えよう。

 そして、恵子に「恋人」ができたと知ると途端に態度を翻す。彼らが妄信する「普通」にぐっと近づいたことで、まるで世界に安寧がもたらされたかのように祝福するのだ。そんな同僚の姿からも、彼女の存在がいかに「脅威」であったかが伝わってくる。

 この光景は決してフィクションではない。むしろリアルな世界にこそ、「普通でない」存在を遠ざけたり、矯正しようとする力が強くはたらいている。配偶者の有無で人を評価し、雇用形態や職種で「普通」か「普通でない」かの判断を下す。そして「普通でない」存在が身近にいれば、あの手この手を使って「普通になれ」とプレッシャーをかけるのだ。

 言ってしまえば、「普通」の人生を歩んできた人々にとって、「普通でない」人間は脅威的な存在なのだ。だから、関係性を遠ざけたり、ありとあらゆる手段を使って「普通」のレールに乗せようとしたりする。「普通」の人々がこうした行動を取る背景は、ひとえに「安心したい」という純粋な感情にほかならない。正常という名のレールから外れた者に振るわれる「普通圧力」。その正体は「普通でない」存在が近くにいることの"居心地の悪さ"なのだ。

 個性や多様性が尊重されるようになって久しいが、「普通の生き方」という名の伝統的価値観はいまだに根強い。著者が向ける「普通」への懐疑のまなざしは、現代社会の深層を鋭く突き刺している。


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