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【書評】違和感の連鎖――『あひる』
昨年から今年にかけて、今村夏子の小説を多く手に取った。
デビュー作である『こちらあみ子』、芥川賞を受賞した『むらさきのスカートの女』はもちろん、『星の子』『父と私の桜尾通り商店街』『とんこつQ&A』と立て続けに読みふけるなかで一つ、気づいたことがある。それは、著者の作品には「平凡な日常に潜む違和感」が、随所に散りばめられているということだ。
それとない違和感
俯瞰で見ると、何か特別な出来事が起こるわけではない、ごくごく平凡な日常の物語。しかし、主人公やその周辺を凝視してみると、何かがおかしい。そんな著者の持ち味がしっかりと発揮されている。
本書は「あひる」「おばあちゃんの家」「森の兄妹」の3作品で構成されているが、とりわけ「日常の違和感」を匂わせているのが表題作である「あひる」だ。
「あひる」はひょんなことから「のりたま」という名のあひるを飼い始めたことで、近所の小学生が家に集まるようになった家族の物語。主人公の「わたし」とその両親は、あひる目的で遊びに来た小学生を歓迎するのだが、そのやり取りの中で描かれる日常をよくよく観察すると、不穏さでコーティングされていることに気づく。
例えば、「のりたま」が病気にかかる場面。「のりたま」が病気になり、主人公の父親が病院に連れて行くが、治療を終えて帰ってきた「のりたま」は病気になる前よりも小さくなっていた。「わたし」は「のりたま」の容貌が異なることに違和感を抱くも、なぜか両親にそのことを指摘できない。
そんな「わたし」も、成人して久しいが職業経験が一切ないようで、医療系の資格取得に向けて勉強に励んでいるが、自らの境遇に危機感を持っている様子は感じられない。それどころか、平凡な日常が永遠に進んでいくかのように楽観視しているふしがある。
……と、気になるところをざっと挙げたが、これらはあくまでもほんの一部だ。違和感を抱いた箇所に付箋を貼りながら読み進めたところ、全ページ付箋だらけになった。しかも、こうした描写がさらりと言語化されているので、うかうかしていると違和感を見過ごしてしまう。
日常に潜む違和感の連鎖をさらりと表現する。これぞ今村夏子の真骨頂。本作もその真骨頂が遺憾なく発揮されている。