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史乃
2023年11月23日 10:03
お久しぶりです。仕事を始めて、苦しい時もありながら、充実した日々を送っています。普通の人ってこんな感じなのかな?普通って何、と普段口酸っぱく言っている私ですが、何より私が私のことを、普通でないと思っているし、そのことが知られずにいたいと思っている。私の思う普通は、苦しいことや、嬉しいことがありながらも、壊れそうになることはなく、破滅的なことも考えず、何だかんだで充実している、そんな感じ。ずっとハッ
2021年12月6日 01:34
父を亡くして1年。今回は、私が愛する人を失った悲嘆を受け入れようとする中で考えたことをお話しする。約3ヶ月前、重度訪問介護のアルバイトを始めるため、資格を取得した。その後紆余曲折あり、結局そこでは働かず、心理系オフィスでのアルバイトを開始することになった。新しいバイトは、自分の目指す道筋と直接関わっている分野であるし、待遇もよく、とても充実している。そこで、重度訪問介護をやろうと思った当
2021年9月1日 18:52
4月から大学院に入学した。半年前、最愛の父の最期が近づき、卒論の提出にも追われる中、試験勉強をしなければならなかった。チャンスは1年間に2度。1度目は父のことで大変に混乱し、勉強が全く手につかなくなった。気管切開された父は、病床で私に「次は受かれよ」と、かすれる声で言った。自分で言ってはなんだが、父にとって私は自慢の娘だったそう。私が何かを成し遂げることは、父の人生にも大いなる意味があ
2021年4月2日 00:59
それは多くの人が知っている事実だが、大切な人を失うということが、どれほど悲しいのか、私は知らなかった。確実にこの世にあったはずの命が、本当はなかったんじゃないかと不安になるような気持ちを、私は知らなかった。2020年12月28日午前9時12分、最愛の父が永眠した。こんな歌があったことを、ふと数日前に思い出した。私は、最愛の父の墓の前で、泣かなかった。火葬前最後の別れの瞬間も、火葬中も、家に
2020年10月17日 12:41
父の胆管に末期の癌が見つかり、宣告された余命の1年が過ぎた。7月以降、2度目の入院となり、覚悟を決める時がきている。今回は、末期がん患者の家族として、1年間の心境の変化をここに記す。---------- 私はこの1年間の多くを、現実から遠く離れたところに身を置いて過ごしていたと思う。私が幼い頃から父は「100歳まで生きる」といつも言っていたし、私はそれを信じて疑わなかった。病気を知らさ
2020年7月30日 20:49
今日「喫茶店で読書をしたい」とふいに思い立った私は、家のすぐ近くにある喫茶店に立ち寄った。一人で喫茶店に入るなんていつぶりだろう。少し緊張していた。店主は初老の綺麗な女性で、素敵な笑顔で冷たいお水をサーブしてくれた。メニューの一番上にあったレギュラーコーヒーを注文。店は喧騒から外れた穏やかな雰囲気を漂わせていた。喫茶店独特の煙草の曇った匂いが、ブラウンを基調とした店内を優しく包んでいる。座