今どうしても言葉にしておきたいこと
父の胆管に末期の癌が見つかり、宣告された余命の1年が過ぎた。7月以降、2度目の入院となり、覚悟を決める時がきている。
今回は、末期がん患者の家族として、1年間の心境の変化をここに記す。
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私はこの1年間の多くを、現実から遠く離れたところに身を置いて過ごしていたと思う。私が幼い頃から父は「100歳まで生きる」といつも言っていたし、私はそれを信じて疑わなかった。病気を知らされたときも、手術を待っている間も、私は家族の前で涙を流すことはなかった。取り乱す母をなだめ、落ち着いた表情の父を落ち着いた気持ちで眺めていた。
しかしある時から、「信じたくない」という思いを自覚するようになるが、親に打ち明けることもできず、そうして過ごしているうちに心身にも変化が現れた。突如として、電車やバイト、サークルなど、人の集まる場所、人に見られる場面での恐怖や体の震え、過呼吸発作が起きるようになったのだ。
それでも私は、父にも母にも、父の病気にショックを受けていると、話すことはできなかった。ただ淡々として、いつも楽観的に、強くあろうとした。両親がそういう私を望んでいると、そういう私でいなければいけないと思ってしまうのだ。
抗がん剤治療が始まり、副作用もなく父は次第に元気を取り戻していった。父も母も私も、少しずつ楽観的になり、このまま何年も生き続けていくのではないかという期待すら抱いていた。
しかし今年7月、警察から一本の電話がきた。父を保護していると。父は狂ってしまった。末期がん患者であると伝えると、救急搬送され重度の意識障害として緊急処置がされた。私は生まれてこのかた、人がおかしくなる姿を見たことがなかった。この時のことに、私は誰よりもショックを受けていた。
緊急処置に伴う心肺停止の恐れがあったため、医師から、親族である私(両親は離婚しているため)に延命の可否決定を求められた。そのとき、父の命の手綱を握っているのが自分なのだとわかった。私は、母の助言のもと、延命を断った。
そこから、毎日毎日、こうしている間にも死んでしまうのではないかと考え、夜も眠れず酒を飲み続けた。眠ろうとすると、『死』の影に飲み込まれてしまう恐怖に襲われた。
しかし幸いにも、父はその後回復し、退院することができた。久々に会った父は、すっかり以前の姿に戻り、素敵な笑顔を見せてくれた。こうして安心することができるまでの2ヶ月間、私は何も手につかなかったが、やっと自分の生活をまた始めることができるようになった。
ホッとしたのもつかの間、9月のある日、父と連絡がつかなくなった。勉強で忙しかったこともあり、「大丈夫だろう」という私の言葉を聞かず父の家に向かった母から、救急搬送されたとの連絡があった。急いで病院に駆けつけると、父は正に「意識不明の重体」となり集中治療を受けていた。原因は感染症によるもの。血圧は低下しており、医師から「覚悟はしてください」と言われた。
私はまた、涙も出ず、ただただ冷静に同意書にサインし、説明を聞いた。待ち時間は淡々と学校の課題に取り組んだ。悲しくなどなかった。ショックも受けなかった。ただ、状況を理解するだけだった。
そして奇跡的に一命をとりとめた。変わらず、私は何の感情も抱くことができなかった。自分は非情な娘だろうかと考えた。しかし違った。心を閉ざさなければ、自分が壊れてしまうということを、わかっていたのだと思う。喜びも、悲しみも、何も抱かない。変わらない日常を過ごす。そうでなければ、押し潰されてしまうと、頭が勝手にそう判断し、何も感じないように働きかけてくれていたのだと思う。そんな状態が長く続かないことは、知っていたのだけれど。
実感は再び、突然に現れた。
なぜ死ぬのが私の父なのだろう、と思った。
人が死ぬのはわかっている、多くの人が親の死を経験するのもわかっている。それは平等なのに、タイミングは不平等だ。私は当たり前のように、両親に孫の顔を見せることができると信じていた。それが私の、これから訪れる当然の幸せだと思っていた。
なんてことはない、この不条理さが、人生である。わかっている。私よりも早くに親を亡くした人がいるのも、わかっている。
わかっているけれども、嫌なものは嫌で、父の体の中の、散らばりまくった無数のがん細胞を、一つ一つ、溶かして、流してやれたらどんなにいいだろうか。そんな意味のないことを、延々と考える。今日も、明日も、考えるだろう。
父が死を受け入れるまで、私は父が死ぬということを受け入れることはできないだろう。口では「死ぬのなんか怖くないんだよ」と言う父が、来年、再来年、それからずっと先への希望を語る限り、まだ生きていけると信じる限り、私も父の言葉を疑わず、父と同じように父の命を信じたい。本当は覚悟など、決めたくない。
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これが、今日までの私の心境の変化である。
私はけして、自分が不幸などと思っているわけではない。ただ、言葉にしなければ、今感じていることがなかったことになってしまうかもしれない。誰にも知られず、自分自身でさえ忘れてしまうかもしれない。だからこうして、書き留めることにした。
今回は長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
↓7月の入院当時のnote
ありきたりな後悔|史乃