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テレビの裏側

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テレビ制作・テレビ宣伝の裏側・思い出を綴ります。
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#手塚治虫

アニメ「ブラックジャック」

アニメ「ブラックジャック」

僕はアニメ「ブラック・ジャック」の宣伝をやってました。

プロデューサーは同期の諏訪道彦。アニメ「名探偵コナン」の生みの親です。

諏訪と僕は、僕がディレクターデビューした「11PM」で手塚治虫さんと直接お会いし、その時知り合った手塚治虫さんのマネージャー・古徳稔さんを通じて、「ブラック・ジャック」のアニメ化が実現したのです。

詳しくは、この記事を見たら、諏訪が書き込んでくれる事でしょう。

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ばるぼら

ばるぼら

「ばるぼら」。

手塚治虫の名作漫画である。

稲垣吾郎、二階堂ふみで「映画化」もされている。

僕が漫画「ばるぼら」に初めて出会ったのは、「高校二年の夏の京都」。

その頃、僕は京都・百万遍にあった「駿台予備校」に「夏期講習」を受けに通っていた。

僕自身が決めた事では無いから、「毒親モンスター」の「僕の母親」が決めて来た事だ。

この頃、「小学館文庫」から出版された手塚治虫の「シュマリ」に痛く

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諏訪道彦

「手塚先生、サイン下さい!」
僕の同期入社・諏訪道彦はメイク室、手塚治虫さんの前に立っていた。彼は手塚さんに「ジャングル大帝」を描いてもらっていた。

「漫画」「アニメ」大好きな彼の素朴な人柄が「漫画の神様」の前で溢れ出ていた。懐かしい光景で未だに忘れない。

1985年3月21日、「11PM・手塚治虫特集」で僕がディレクターデビューした生放送、本番直後の事だった。

「どんな事があっても、手塚治

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手塚治虫さんとの思い出

手塚治虫さんとの思い出

僕は「11PM・手塚治虫特集」で1985年3月21日、ディレクターデビューした。

高田馬場・手塚プロダクションでの打合せ、宝塚市から大阪市内のロケ、そして生放送の本番。3回、手塚治虫先生とは会い、直接お話もさせて頂いた。

打合せ。15分位、手塚プロダクションの急拵えの二畳位の狭い応接室で待っていただろうか。

「初めまして。手塚です」
手塚治虫先生はそう言いながら、笑顔で応接室に現れた。温かく

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「ピノコ」のTシャツ

「ピノコ」のTシャツ

会社にこのTシャツを勇気を持って着て行ったのに、誰も気付いてくれない‼️

僕の大好きな手塚治虫「ブラックジャック」の「ピノコ」Tシャツなのに😹

手塚治虫さんのサイン

手塚治虫さんのサイン

うちの貴重な家宝。

1985年3月21日(木)「11PM」の生放送終了後のメイク室で描いてもらった手塚治虫さんのサイン。
そして、手塚治虫さんの名刺。

初めて、ディレクターをした日のもの。

僕は高田馬場の「手塚プロダクション」での手塚治虫先生との打ち合わせ、「御自宅」に伺っての「手塚治虫先生の秘密部屋の撮影」、「宝塚」から「大阪ミナミ」に至るロケ、そして「生放送当日」の4日間、手塚治虫先生と

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ふしぎなメルモ

ふしぎなメルモ

手塚治虫の「ふしぎなメルモ」のTシャツ。

「ブラック・ジャック」のピノコTシャツに続く第2弾‼️

アニメ「ふしぎなメルモ」は、大阪・朝日放送製作で日曜日のよる6時半から放送されていた。

「性教育アニメ」で「女性のふくよかで成熟した映像」に、親の目を気にしつつ、「性の衝動」を感じながら、毎週ブラウン管を食い入る様に見つめていた。

「メルモ」の声を当てていた声優の武藤礼子さんの「声色」も大好き

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三つ目がとおる

三つ目がとおる

手塚治虫「三つ目がとおる」の登場人物・和登千代子が大好きなので、すぐに注文。

届くのが楽しみで仕方がない‼️