諏訪道彦
「手塚先生、サイン下さい!」
僕の同期入社・諏訪道彦はメイク室、手塚治虫さんの前に立っていた。彼は手塚さんに「ジャングル大帝」を描いてもらっていた。
「漫画」「アニメ」大好きな彼の素朴な人柄が「漫画の神様」の前で溢れ出ていた。懐かしい光景で未だに忘れない。
1985年3月21日、「11PM・手塚治虫特集」で僕がディレクターデビューした生放送、本番直後の事だった。
「どんな事があっても、手塚治虫先生にサインをもらいます。会社を辞めろと言われても!」
彼は大先輩のプロデューサー諸氏にそう宣言していた。
愛知県豊田市出身の諏訪は幼い頃から「漫画」が大好きだった。
彼は、全ての週刊漫画誌、月刊漫画誌、その他の漫画に目を通していた。本当に漫画とアニメが大好きだった。彼の家は押し入れまで、漫画が山積みにされていた。
うちの局に入社したのも、「巨人の星」「タイガーマスク」「ルパン三世(1st season)」「宇宙戦艦ヤマト」「天才バカボン」などを制作していたからである。
諏訪と僕の付き合いは長い。同じ大学に通い(彼は工学部、僕は経済学部)、偶然「バスケットボール愛好会」でも一緒になった事があったから。
性格も真反対。彼は社交的で人見知りを全くしない。それに目立ちたがり。
僕はシャイで人見知り。目立つのが嫌でしょうがない。
全く合いそうにも無い性格だったからこそ、逆に合ったのかも知れない。
さらに、愛知出身の諏訪の住んでいた家と僕の実家の最寄り駅が一緒だった。
よく二人で飲み、終電で帰り、駅のベンチに座って、「11PM」の事などいろいろ話をしたものだ。
「11PM」で、諏訪は大阪大学の大村助教授と共に、テレビで多分初めて「CG」を使った。歌手が歌うバックの壁を「CG」で作ったのである。
「11PM」での諏訪との仕事は2年弱。その後、彼は念願の東京支社「アニメーション部」に異動になった。
それからの諏訪道彦の快進撃は凄かった。東京に異動した当初はヒット作もなかなか出なかったが、テレビアニメ「名探偵コナン」(1996〜)でクリーンヒットを飛ばす。
彼は「名探偵コナン」の映画化も企画し、今では映画界でも欠く事の出来ない一大コンテンツとなっている。
「金田一少年の事件簿」「YAWARA!」
「犬夜叉」
「ブラックジャック」
「シティーハンター」
「コボちゃん」
「結界師」
などなど。
アニメの原作を書いている漫画家との付き合いも諏訪ならではのものがある。
「犬夜叉」の高橋留美子先生とはたくさんのスタッフを引き連れての沖縄旅行を企画し、実現させた。
様々な段取りが団体旅行にはあると思うが、彼の強引なパワーがそれを成功に導き、高橋留美子先生始め、スタッフから好評を得たと聞いている。
諏訪と飲んでいて、突然、「シティーハンター」の原作者・北条司先生の自宅に行こうと言い出した。
アニメ「シティーハンター」にも関わっておらず、人見知りの僕は30分後には北条司先生の御自宅マンションに座っていた。
「どうして僕はここにいるんだろう?」
不思議な感じがした。
北条司先生も見知らぬ客に戸惑っておられる様だった。
諏訪は写真週刊誌に撮られた事があった。
いつも、有名漫画家の直筆で描かれたアタッシュケースを持っているアニメプロデューサーとして。
テレビアニメ「名探偵コナン」の「アフレコ」は毎週行われる。声優さん達の声の調子を保つ為、二本録りとかは出来ないのだ。多分、他のアニメでも一緒だろう。
「名探偵コナン」の「アフレコ」の後は、毎週、諏訪主催の40〜50人規模の飲み会が安めの居酒屋で行われていた。
これは、「名探偵コナン」のキャスト・スタッフが1つのチームになる為に、諏訪が考え出した手法。
宴会の終わりには、
「はい、これ東京宣伝部の領収書ね!支払いよろしく!」
「はい、これ小学館さん!」
「はい、これトムスさん!」
宴会に参加した各会社・各部署に領収書が諏訪の独断で振り分けられる。
最初はちょっと「引いた」が、そんな儀式も諏訪らしいと僕は思っていた。
この宴会に参加して、当時「名探偵コナン」の宣伝担当だった僕。
主役を演じておられる高山みなみさんと話が出来、それが後々の取材に繋がったりして、「飲みニケーション」として使わせてもらった。
そんな諏訪道彦が関わっている新しいアニメーションの製作が着々と進んでいる。
どんな作品になるか、今からとっても楽しみにしている。
彼の作るアニメーションは、彼のエネルギーに満ちあふれている。
かけがえのない親友である。