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オルゴールが鳴りやむまでに。『妊娠カレンダー』(小川洋子)
人から薦められて手に取った、小川洋子さんの『妊娠カレンダー』を読了。
30年以上前の作品です。
分量としては多くないのだけれども、読み終わるとどっと疲れました。
そして、うまいこと感想を言語化できていません。
なので、とても抽象的な、わけのわからない感想ではありますが、書きなぐり…。
まず、裏表紙に書かれた「あらすじ」が、なかなかにショッキングです。
出産を控えた姉に毒薬の染まったジャムを食べさせる妹・・・・・・妊娠をきっかけとした心理と生理のゆらぎを描く芥川賞受賞作「妊娠カレンダー」。
これはまさか、赤ちゃん殺しちゃうのか…とか思ってハラハラしながら読みましたが、安心してください。殺していません。
あらすじの描写は、確かに間違ってはいません。妹が「毒入りのジャム」を作り、それを姉が食べたのは事実です。
でも、食べ「させた」のかといえば、そうとは言い切れない気もするのです。
そんな表題作の「妊娠カレンダー」。
妊娠という物が人生の一大イベントでもなく、生命の喜びに満ちあふれる輝かしきものでもなく、ただ寝て起きて死へと向かう時の流れのある一地点として描かれているように感じました。
主人公にあたる妹も、妊娠の当事者たる姉も、妊娠という出来事に対してどこか淡々としていて、それをことさらに喜んだりはしません。
「どうだった?」
「二ヵ月の半ば。ちょうど六週め」
「まあ、そんなに厳密に分るの?」
「こつこつためたグラフ用紙※のおかげ」
姉はそう言うと、コートを脱ぎながらずんずん家の奥へ入っていった。特別な感慨があるようには見えなかった。
「今日の夕食なあに?」
「ブイヤベース」
「あっそう」
「イカとあさりが安かったから」
そんなありふれた会話を交わした後のような、あっさりした感触しか残らなかった。だからわたしは、おめでとう、というのさえ忘れていた。
しかし本当に、姉と義兄の間に子供が生まれるということが、おめでたいのだろうか。わたしは辞書で『おめでとう』という言葉を引いてみた。――御目出度う(感)祝いのあいさつの言葉――とあった。
「それ自体には、何の意味もないのね」
とわたしはつぶやいて、全然おめでたくない雰囲気の漢字が並んだその一行を、指でなぞった。(文庫版pp.15-16)
※姉が律義につけていた基礎体温表のこと
本作自体が時系列に沿って、日付とともに淡々とできごとが記述されている、ということもまた、その淡白さに拍車をかけます。
ただすすむ、時。
妊娠や出産も、日常の中でひとりでに起こり、そして終わっていくできごとのひとつに過ぎないのだろう、という気分になります。
そうやって見てみると、毒薬の染まったジャムを食べさせる行為――すなわち、輸入品のグレープフルーツには染色体を破壊する農薬が散布されていることを知りながらもそれを煮詰める行為――も、ただ生きて死ぬその途中にある営みのひとつに過ぎないのではないかと思えてきます。
そんな表題作を含む、本作に収められた三篇のお話。
「妊娠カレンダー」
「ドミトリイ」
「夕暮れの給食室と雨のプール」
そのどれもが、雨音の中でひっそりと鳴るオルゴールのような不思議な静けさを持っています。
時が流れる。誰かと知り合い、そして別れる。
オルゴールは、一度ネジを回して奏で始めたら、いつかその動きを止めてしまう瞬間が必ず訪れます。
そしてその瞬間は、曲の終わりでちょうどよく止まる、なんてことはないかもしれない。
盛り上がりを迎えるまえに、突然にふっと途切れることがあるかもしれない。
人の一生もそうなのかもしれない。
いつ終わるかは分からないけれど、いつかは必ず鳴りやむ。
その終焉に至るまでの、盛り上がりはあるにしてもテンポは一定の時の流れ。
そんなふうに流れる時間をそっくりそのまま読者の目の前に持ってきて見せてくれる。いや、五感で味わわせてくれる。
そんな魅力がこの本にはあるのだと、静かに思います。
おわり。
しょうもない追記
三篇に共通する魅力のひとつに、「ほこりの臭いすら清潔に感じる、古い建物の描写」があります。廃墟好きなら絶対にゾクゾクするはずです。そのためだけにでも、ぜひ読んでほしい…!