実践し すごさ感じる井原の矢数 既に三首で袖振れず
実践し すごさ感じる井原の矢数
既に三首で袖振れず
柑咲
(じっせんし すごさかんじる いはらのやかず すでにさんしゅで そでふれず)
訳:井原西鶴は、一晩で千首以上詠んだらしいがすごいなぁ。こちらは三首詠んだだけで もう無い袖は振れないのだから
2014年4月10日 制作
解説:井原西鶴は江戸時代の脚本家、作家、構成作家みたいな人です。矢数俳諧(やかずはいかい)という、一晩で まるで矢を射るかのようにどんどん歌を詠んでいって、千首以上の歌を詠んだという記録係が腱鞘炎になるような事をしたギャガーでもあります。
因みに井原西鶴の鶴という字には、意味があるらしく。ある時、西鶴だけ京都のお上品な歌会に呼ばれませんでした。それに怒った西鶴は、「お前ら京都のもん(多分、貴族のこと)がいくらピーチクパーチク 雀みたいに、歌うたった所で わしが歌 一首詠んだ方が どかんとウケるし。雀よりもありがたい 鶴の一声やし!」と聞く側の解釈によっては、負惜しみにも聞こえるような歌を残しております。(どんな歌やったかなぁ、忘れた。調べてぇ 気になるのであれば(^-^))
その歌から鶴の一声ってことばが生まれたとか生まれていないとか。
そこから転じて落語家の芸名には、「鶴」という文字が遣われているとか。いないとか。笑福亭鶴瓶、鶴光・・・。それ以上は浮かびませんが。笑福亭一門に多いとか、多くないとか。桂雀々はどうなるの、必死のパッチよ。
知らんけど。
(;゜∀゜)(;゜∀゜)(;゜∇゜)
関西人の生態:説明しよう。関西人は、発したことばに責任が持てないとき、ソース元がどこか分からない時。そんなに真剣に自分の話を聞いてほしくないとき。どこから聞いた話なのか、ちょっとその話信憑性に欠けるなと思ったとき。「○○○らしいで。知らんけど。」と5文字で全てをなかった事にする、他府県民からすれば困惑するような ことばを平気で言う生き物なのであ~る。
そんなん いちいち堅苦しぃ、責任感やら義務感やら ばっかり持って喋っていられますかいな。知らんけど。
(゜_゜;)(゜_゜;)( ̄□ ̄;)!!
それではまたのちほど(* ̄∇ ̄)ノ