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平成初期生まれ20世紀末期生まれ


  平成初期生まれ20世紀末期生まれ。

  そんな私は、自らが置かれた時代の価値観に乗っ取って何の疑いもなく、相手の置かれた時代や環境を鑑みる“想像力の体幹”が備わっておらず。


  夏目漱石のこころを読んだ十代の頃、残される女の気持ちは置いてきぼりかよと思った。

  坊っちゃんにおいてもマドンナの気持ちは描かれていない。女の気持ちは置いてきぼりか。


明治のおなごに心はないのかと聞かれればきっと違う。

もっと深く、立体的に読み解かねばあらすじを辿るだけになる。


それは恐らく、人気店の人気の理由ではなく店のお品書きが分かっただけというのと一緒なのだ。



【源氏物語が嫌いな人に】


  学生時代、授業料はおろか日々の生活の公共の支払すらままならぬ暮らしぶりだった。

  職員室とはまた別の、事務の部屋に免除の申請書類を何度出しに行ったか分からない。

その中で、最も古典という授業が意味が分からないと思った。


(何故、授業料を払ってまで

手癖の悪い男の話を聞かねばならないのか。)

私は、怒りでいっぱいだった。


お金を払ってまで、不倫や淫らな行為を “雅な世界”とか言って教えられなければならないのか。憤慨した。



  時を経て。さして古典や源氏物語を学び直そうなんて思いもしなかった。しかしある時、普段はそんなことはしないのにとても仲の良い友人が、「絶対これあなた好きだと思うから読んでみてほしい」と言われて、あるマンガを渡された。

私は人からオススメされたものが得意じゃない。マンガも絵ばかり見て、話が進まない。


その事を分かった上で友人は、百人一首のマンガをすすめてきた。



そのマンガを読んで、分かった事がある。腑に落ちるとはまさにこの事だと思った。


紫式部が書きたかったのは、手癖の悪い男の恥さらしを美化したような恋愛遍歴ではない。不倫に次ぐ不倫やいつの時代も不貞に苦しむのは女だと言っているのではない。

踊らされているのは、男の方(光源氏)だった。


紫式部は、作品の中でとてつもなく沢山の女性を描いている。


破天荒な女性もいれば、

慎ましい女性もいる。

皆から羨望の眼差しを向けられるが、たった一人の好いてる人には向いてもらえない女性もいる。

男女の関係を望まずそれを貫き通した女性もいる。


沢山の女性がいる。

沢山の生き方がある。


今置かれている状況は辛いかもしれない。でもこの私(紫式部)が色んな生き方をするおなごを書いたのだ。

生きづらいなと感じる苦しみは分かる。

だけど言っておくよ。

生き方は一つじゃなくていい。



時を経て腑に落ちたように、

きっとまた腑に落ちるときがくる。


  きっと漱石のこころの細君の反応や描写も、

マドンナの心理的描写も、描かれていない某かの意図があるのだと思いたい。


  そう思って徒然なるまま認めていると、ふと先生と私の会話ではなく、「椿の花がぽたぽたと」という描写が頭に浮かんだ。


先生は「恋は罪悪」だと言ったが

別のある人は「恋は夢芝居」だと言った。


先生が苦しんだ恋という名の罪悪が、悪い夢であればいいのにと思う。

もしくは、私が見た悪い夢であればいいのにとも思う。

そうしたら冒頭は、「こんな夢を見た。」に変わっているだろうなと思う。


そしてそれが、夢から醒めた夢であってほしい。

  霊界空港では、乃木希典とKによく似たメソが床を雑巾がけしていればいい。

夢の配達人のおじさんは、夢はいい夢ばかりじゃない。悪い夢もあると言っていた。

悪い夢から醒めたあと、

先生は今度は愛妻家になればいい。


そんなの絵空事だと言われるだろう。しかし、この世界は無駄を描けるほどの楽園なのだと “無駄の秀才”である筆者は思う。



「私の頭の中の 中身のない噺」より。私の頭の中のから引用。


それではまたのちほど(* ̄∇ ̄)ノ



こんなんも書いてます。



(百人一首関連の内容)


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