あさをつなぐひと~⑨
さて明治から平成、平成から未来へ。時代やら時空やらを反復横飛びしている私ですが。
ここで一人、紹介したい女(おなご)がおります。
あささんより世代は下かもしれませんが、ある有名なおなごの詩人がおります。その人は、あささんが資金を集めるのに奔走した女子大学校の卒業生・平塚明(はる)さんが、平塚らいてうという名で創刊した雑誌の第一号に、
「山の動く日来る(きたる)」
という詩を載せています。名前を ※13与謝野晶子さんといいます。
「山の動く日来る」は、日本で初めて女性(おなご)による女性(おなご)の為の雑誌を創った平塚さんに対し、与謝野さんは時代が変わったなぁと。それを山の動く日と表現しております。
でもね、あささん。私、思うんです。
確かに与謝野さんの時代は山の動く日があったのかもしれません。でも今を生きる私らは、いいえ、平成の最後を生きる私らは。
自分自身の身ぃ動かしてはじめて、
やっと山の形が変わっていくのです。
旅をしていて
山(の形)をじっと見ている時
だんだんと形が変わっていく
それを見ていてそう思いました。
自分が動くしかないと。
来るか来んか分からん時代の変わり目、期待してても、日ぃ暮れてまうだけやと。
(まぁ尤も、それに気付かせてくれたのはHIS(旅行会社)のバスが、私を乗せてビューっと動いてくれたからなんですけどね。
そこは、自分で動いてへんやんと怒らんといてください。)
つづく
補足情報
※13 与謝野晶子:モデルになった広岡浅子と与謝野晶子の生年月日を調べた結果、浅子は二十八歳で娘・亀子を生んでいる。この亀子と与謝野は二個違いのほぼ同世代なので、浅子と与謝野は、親子ほど年の離れた世代と考えてよい。
因みに、与謝野とらいてうは八個年の差、らいてうの方が下になる。年下の女性から新しいことをするので、力を貸してくれと言われたら、こういう感想を抱くのかもしれない。
物語の主人公・白岡あさが何歳まで生きたのか不明だが、モデルの浅子は長生きをしたので与謝野のことも、「山の動く日来る」の詩も多分知っている。(2018年の筆者はそれを知らない。書き直さずにそのままにしておく。)
それではまたのちほど(* ̄∇ ̄)ノ
※この感想文は2018年に書いたものです。