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【日本製の服をつくる】拘る理由-モノづくりの視点から

「いやぁ、この型は手が込んでるからなかなか縫製進まなくて、この工賃だと赤字になってしまうから、なんとか工賃上げてもらえないかな?」
また、国内縫製工場から連絡があった。

数件ある国内の協力工場はどこも、3年前くらいに工員を減らしてから、生産性が上がらず、厳しい状況が続いている。
高齢化で後継ぎもいないことから廃業してしまった工場も何件かある。

現状、物価が上がっていると言いつつも、下請けまで行き届いていない現状。
赤字ギリギリの経営状況もあるが、多くの経営者は高齢なので、設備投資も人材投資にも積極的ではない。
だから、ミシンなどの設備は20年以上前のものが殆どで、工員も高齢の方が多い。

これには、アパレルの国産比率1.5%で20年前から比べると1/6になっているのも頷ける。
まぁ、ある時期から、低価格な製品が浸透したことで、国内縫製の需要が急減し、国内工場も工賃を安価にせざるを得なくなったことが元凶ではあるのだが。

わたしは、風前の灯火ともいえる日本製に拘って服をつくっている。

日本から縫製工場がなくなる?!危機感

わたし自身、縫製工場を経営しているわけではないから工場の本質的なことは分からないと思う。
しかし、国内縫製工場がなくなっていくのには違和感を覚える。

この違和感は何なのだろう?

確かに、縫製工場の職人達への親しみなどから、感情的に辞めて欲しくないという気持ちはある。
でも、それだけではない。

一枚の服、それに関わる工員ひとりひとりの技術。
そういったものを絶やしてはいけないと思う。


工員というと、何の技術もなく、単純作業をこなす人といったイメージがあるかもしれない。
しかし、単純作業といっても根気がいるし、そこには必ず適正というものがある。

縫製の仕事も同様、ミシンが与えられたからって今日の明日で縫えるものではない。

協力工場の社長に伺ったところ、個人差はあるが、一人前にある程度任せられるようになるには一年はかかるとのこと。
それまでは本当に見習い期間。

このようにして、技術を習得して縫製に携わる人達は、立派な職人なのだ。

糸と針で縫う工程の服は、やはり、なかなか機械化できるようなものではないと思う。
だから、縫製の技術というのは、人が人に、後世に繋げていかなければいけない。

1926年に「民芸運動」という生活文化運動があった。

民藝運動は、1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動です。当時の工芸界は華美な装飾を施した観賞用の作品が主流でした。そんな中、柳たちは、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝(民衆的工芸)」と名付け、美術品に負けない美しさがあると唱え、美は生活の中にあると語りました。
近代化=西洋化といった安易な流れに警鐘を鳴らしました。物質的な豊かさだけでなく、より良い生活とは何かを民藝運動を通して追求したのです。

日本民藝協会

柳宗悦ら先人達が鳴らした警鐘。
「民芸運動」のような考え方がやはり重要なのではないかと思う。
ハイブランドの一点一点拘り抜かれた製品とも、
人件費が安い国で大量生産し安価に作られた製品とも違う。
品質が担保され、安定したクオリティの美。
それが、日本製品の美であると思います。

「名もなき職人の手から生み出された、日常の生活服」はもっと評価されてもいいのではないでしょうか。

最近のニュースで、静岡県の川勝知事のモノづくりに従事するような人達への差別発言が問題となった。
このような偏見があるから、モノづくりに携わる人が少ない。
確かに、お金を稼ぐという視点からだと、モノづくりだけをしていても稼げないことは事実。
しかし、戦後、日本はモノづくりで経済成長してきたのだから、
技術の継承。
日本のモノづくりを絶やさないことが、豊かな未来を築いていくのではないでしょうか。

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