「そんなもんだよ。仕方ないでしょ。」〜無垢な瞳が教えてくれた〜
大型連休明けの通勤電車、
我が身を日常のペースに戻していく。
電車の中で感情がうず巻くときがある…。
今週の車内のこと。
夕方の混雑した時間帯、
出入口付近に私は立っていた。
先に乗った方々が奥に行ってくれない。
すると若い女性が乗り込んで
私の背中を押してきた。
そこまでは仕方ない。ここからだ。
その女性はスマホをいじり出し、
その固い形状が私の背中に当たっている。
このコツコツに私のイライラがつのる。
ふと斜め前を見ると、
ベビーカーに乗った赤ちゃんの笑顔。
その無垢な瞳が私を捉えている。
穏やかで、平和なスマイルが
いい歳した私に何かを教えている…。
混雑している車内で
リュックを前に抱えない人。
見入っているスマホが
前に立つ人の背中に
コツコツと触れているのに
気づかない人。
人と人のすき間を強引に通り、
ぶつかっても謝らない人。
出口付近に密集して奥にいかない人たち。
いろいろだ。
車内アナウンスが流れている。
「車内での携帯電話の利用は
他のお客さまのご迷惑になるので
ご遠慮ください。
またリュックなど大きな荷物は
前に抱えるなど車内マナーのご協力を
お願いします」
まるで小学生に諭している様。
それだけマナー違反が多く、
電鉄会社に苦情が
寄せられているからだろう。
私は電車通勤36年になる。
単に長いだけだ。
単に、というのは、未だに
電車通勤に慣れていない気がするから。
ぶつかってきて謝らない人に
未だに怒りを感じてしまう。
ときに人の荷物やスマホが
我が身に触れるだけで
良い気がしない。敏感過ぎると
甚だ情けなくなる。
でも待てよと。
今更ながらに36年を経て思うのだ。
電車の中は、人間社会。
世の中なのだ。
意に沿わないことは多々ある。
その意とはエゴ(自我)でもある。
雨が降り、嵐もある。
障害や事故もある。
勿論、快適なときも多い。
幸運もあれば、そう思えないときも。
日常、職場や家庭で
自分の価値観や考えを
人に押し付けていることに
気付かないときがある。
まさに電車の中でもそう。
同乗者に対して、
「謝れ」という価値観だ。
人の価値観は変えられない。
法や倫理に逸脱しない限り、
人は自由なのだ。
同乗者……。
ましてや見ず知らずの人。
得体の知れぬ他人であり、
他人からすれば私も得体の知れぬ
不気味な奴なのだ。
ありのままを受け入れる、
酸いも甘いも噛み分ける度量。
発想を変えて工夫して
私の立ち位置を変える。
雨が降れば傘をさすように。
つぶらな瞳の赤ちゃんが、
「いちいち解釈せず、流せ」と、
いい歳にした煩悩おじさんに教えている。
これはそういうゲームだと。
未だ不慣れだが、
電車の中は面白い。
今日もお読みくださり
ありがとうございました。
良い一日になりますよう!!