「春のこわいもの」に不穏な時代の関係性を思う
最近、ちょっと怖い読書体験をしました。読んだのは『春のこわいもの』(川上未映子著、新潮社)です。
パンデミックが起きる「前夜」という時代を背景に6人の男女の視点から「人間の嫌な部分」を描いた小説と言っていいでしょう。劣等感や挫折、過去への後悔などが提示されますが、それぞれ何か思い当たるようなものがあり、普遍性を感じさせるところに筆者の力量を感じます。
6つの短編が収められている中で私が不穏なストーリーに引き込まれたのが「ブルー・インク」です。「交際している」と表現するには微妙な距離感がある、もうすぐ高校3年生になろうという男女が登場します。
主人公の「僕」は「彼女」から受け取った手紙を失くしてしまい、「彼女」は大きなショックを受けます。「僕」はまだ手紙を読んでいなかったため、内容が分からないまま戸惑いの中にいます。
2人は学校に手紙を探しに行くことに決め、夜の校舎に侵入。あちこち探した後、2人は「僕」が最後に学校で時間を過ごしたデッサン室に向かいます。腕を切られた石膏像が青い陰影に彩られるなど、部屋には独特の雰囲気が漂います。手紙は見つからず、「彼女」は作業台に腰かけたまま動かなくなってしまいます。
「わたしは手紙を書くべきじゃなかった」彼女は言った。
「きっと誰かが、私の手紙を読む」
「もし誰かが拾って読んだとしても」僕は反射的に声を出していた。
「君が書いたものだとは、わからないんじゃないかな」
すると彼女は顔を上げて、まっすぐに僕の目を見た。
(※116ページより引用)
「彼女」は何かを考えているようにも「僕」からは見えますが、やがて肩を震わせて泣き出します。「僕」は申し訳ない気持ちを抱きつつも、なぜか言葉が出てきません。泣き続ける「彼女」を前に焦りを覚えつつも「僕」はかすかな苛立ちを感じはじめているのに気がつきます。
ここには明らかにコミュニケーションが成立していません。手紙の内容が分からない以上、失くしたことの重要性は「彼女」にしか理解できない。一方の「僕」は謝罪ができないまま、「彼女」に不本意な状況に追い込まれたような怒りを感じ始めています。
この後、「僕」は不意に性的な衝動を覚えます。彼女を襲う妄想に囚われてしまうのですが、その際の「現実の捉え方」が衝撃的です。長くなりますが引用します。
もし僕が僕の想像していることをしたとしたら、彼女はそのことを誰かに言うのだろうか。いや、そうじゃない。僕が感じたのはそういうことじゃなかった。そうじゃなくて、そう、ここで起きることは果たして本当に起きたことになるのだろうかー僕が感じたのはそんなようなことだった。ここで僕と彼女のあいだに起きることはここだけのことで、現実に起きたことにはならないんじゃないのか。僕はそんなことを考えていた。この奇妙に青くて明るい、僕のデッサン室で何が起きたとしても、それはどこにも残らないんじゃないだろうか。そもそも出来事が起きたと決めるのは、いったい誰で、何がそう決めるのだ?僕たちがここにいることを誰も知らず、誰にも知られていないこの場所で今、起きることなんて、結局のところ、世界のどこにも残らないんじゃないだろうか?
コミュニケーションがないまま「閉ざされた世界」で「現実」が存在しないことにされていく・・・。「僕」の想像の中でのこととは言え、男女の関係で起こり得る非常に怖い状況です。昨今、映画界での性暴力が問題になっていますが、何か似たものすら感じてしまい、ゾッとしてしまいました。「閉ざされた」事態が発生しがちなコロナ禍で起こりやすいことかもしれませんが、人間の関係の中にしかないはずの「現実」が変に歪んでいる・・・
本当に恐ろしいです。
こんな感慨の中で私が聴いたジャズがアイク・ケベック(ts)の「ボサ・ノヴァ・ソウル・サンバ」です。なぜこの作品かというと、個人的に「春の妖しさ」を感じるからです。
アイク・ケベック(1918ー1963)は名門ブルー・ノート・レーベルでタレント・スカウト的な活動をしていたことで知られています。セロニアス・モンク(p)をブルー・ノートに強く推薦したのはケベックでした。薬物依存と闘病生活のため1950年代は目立った作品がありませんが1960年代初頭にまとまった録音をブルー・ノートに残しています。
非常にソウルフルで温かい音色があるケベック。「ボサ・ノヴァ・ソウル・サンバ」では、湿り気のあるブルージーなギターを弾くケニー・バレルが加わったことで全体の雰囲気がより「夜」に近く、もう少しで演歌になりそうな俗っぽさもあります。しかし、抑制が効いているせいかギリギリのところで品を保っているのがケベックの特徴。私が「春の妖しさ」を感じるのは、彼の音色とこの「ギリギリのバランス」にあるのかもしれません。真っ暗なジャケット写真の影響もあるかな・・・。
1962年10月5日、ニュージャージーのルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオでの録音。私が持っているのは復刻された輸入盤CDで、オリジナルと曲順が違うようです。
Ike Quebec(ts) Kenny Burrell(g) Wendell Marshall(b) Willie Bobo(ds)
Garvin Masseaux(chekere)
①Loie
ケニー・バレルのオリジナル。ギターとテナー・サックスがユニゾンで登場するイントロでもう「春の妖しい世界」です。温かいのにもの悲しく、なぜか心が奪われてしまう・・・。続いてボサノヴァのリズムに乗ってケベックが朗々とテーマを奏でます。スタン・ゲッツ(ts)のボサノヴァの洗練とは縁遠い、泥臭い音色。哀愁漂う曲調と相まって、独特の世界が広がります。続くケベックのソロは派手なところがなく、淡々とテーマの延長のようなフレーズを紡いでいきます。ここは彼の音世界にどっぷりと浸るべきでしょう。ケニー・バレルの短いソロが入りますが、ここはあえてなのか少し鋭さを帯びた音色でケベックといいコントラストができています。
③Goin' Home
ドボルザーク作曲の「家路」です。なぜこの曲がボサノヴァになったのか分かりませんが、予想を上回るいい出来です。ケベック自身がアレンジしたようで、ギターがリズムを刻むイントロからスムーズにテーマに入るところはあまりの自然さに驚いてしまいます。ケベックが奏でるテーマは非常に優しい雰囲気を湛えていて、あの名曲もここまで愛でられて演奏されることはそうないと思わせます。ソロに入るとテンポはゆったりですがケベックはやや能弁。気持ちよく流している感じが聴き手にも伝わってきて嬉しくなります。続くバレルのソロではテンポアップしたリズムを受け、チャーミングな味わいを帯びたプレイが聴けます。テーマに戻る時の息がたっぷり入ったケベックの音色も聴きもの。
⑤Libestraumu Time もケベックのスローな演奏が素晴らしい。もう少しバリエーションのある演奏ができていたら、もっと人気が出ていたかもしれませんが、それはないものねだりでしょうね。
「春のこわいもの」、私の引用だけでは「僕」と「彼女」の微妙な関係性もそして意外な物語の終わり方も味わえないので、ぜひ小説を読んでみてください。コロナ禍と戦争を受けて思い通りにならない思いを抱える春に人間の負の部分を改めて見つめるのも悪くないかもしれません。
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