大倉集古館「愛のヴィクトリアン・ジュエリー展」に行ってきた
2023年6月25日。もう1ヶ月以上前になるが、大倉集古館で開催されていた「愛のヴィクトリアン・ジュエリー展」を滑り込みで見学してきた。
19世紀英国、ヴィクトリア朝と呼ばれる時代の王侯貴族や資本家層が愛したジュエリー、ドレス、レース、銀食器などが展示された、国内では珍しい展示だ。大倉文化財団の力を感じさせられた。
到着まで
東京メトロ銀座南北線の溜池山王駅から徒歩10分。アメリカ大使館の脇を通り、尋常ではないきつさの坂を汗びっしょりになりながら這い上がった。
坂には名前があり、江戸見坂というらしいと登っている途中で知った。江戸が一望できる坂だというのだから、その急さが察せられると思う。
そして大倉集古館。ホテルオークラの隣に建っていて、駐車場の出入口に面しているため写真を撮るのに苦労した。
やや平たく広めに沿った屋根と六角形の切窓が中華風で趣深い。瓦の淡い翡翠のような色合いも夏の日差しを受けて涼しげだった。写真は撮れなかったが、中には阿吽の立像もある。
残念ながら展示は写真撮影不可。図録が通販で流通しているようなので、興味があればそちらを参照してもらいたい。
ここからは私が興味を惹かれた展示について。全部紹介しているときりがないので3つだけに絞ることにした。
気になる展示① 蛇の指輪
蛇が己の尾を咥え、輪になったもの。エジプト神話のメヘンや古代ギリシアのウロボロス、北欧神話のヨルムンガンドなど挙げればきりがないが、不老不死の象徴として使われるシンボルだ。
それを指輪のモチーフとして採用するのは一体どんなときか。結婚指輪、つまり永遠の愛を誓う時。
ヴィクトリア女王は婚約指輪として蛇の指輪を身につけていた。黄金の蛇に瞳はダイヤモンド。細やかに刻まれた鱗がとても見事な作品だった。
キリスト教において蛇とは邪悪の象徴だ。「ヨハネの黙示録」12:9においてはサタンを「年を経た蛇」と呼んでいるし、キリスト教美術で蛇は毒、罪、嫉妬、欺瞞、そして死を示唆している。
当然、ヨーロッパでは当時結婚とは神事であり、神の許しを得て二人は一つになる。その場で用いられる指輪に蛇が登場するのは少々不思議だ。
もちろん、完全に蛇が嫌われ者だったわけではない。古くから蛇は豊穣、知恵、病を癒す力としても崇拝されていた。事実、「マタイによる福音書」10:16には「蛇のように賢くあれ」という一文が登場する。
蛇が永遠の象徴として知られているのはキリスト教以前からで、ヨーロッパやエジプトに限った話ではない。死についての民話を探せば、とても多くの民族が「人は脱皮による不死性を失ったが、蛇はまだそれを持っている」と語り継いでいることがわかる。
「蛇は永遠だから、私達の愛も永遠」というのはなんともロマンチックだ。夫の死後終生にわたって喪服で過ごしたヴィクトリア女王の愛の深さが伺える逸話を知ることができた。
気になる展示② ハードストーンカメオ
ハードストーンとは硬い縞瑪瑙のことだ。名前のとおり縞模様になっており、その層を活かして深く彫ると下の層の色が出るような凝ったカメオ(浮かし彫り)に使われる。
元々カメオは男性の権力者が身につけていたもので、モチーフには神話や古代の英雄が選ばれてきた。ナポレオンは自身を古代ローマの皇帝になぞらえ、自身の戴冠式を彫らせたカメオを臣下に配ったそうだ。
実際に展示されていたものの中でも17世紀イタリアで作られたカメオには馬に牽かせたチャリオットに乗り、槍と盾を構える英雄の姿があった。
勝利の女神が月桂樹の冠とヤシの枝を手に雲の中をチャリオットで進むカメオも展示されていた。これは1600年頃にイタリアで作られたもので、ちょうどイタリア戦争が激化していたことを考えると勝利のためのお守りだろう。
しかし、19世紀に入るとカメオは女性向けの装身具として再び注目される。金のフレームで縁取りをしてブローチにしたり、連ねてネックレスにしたり、華やかな装飾品となったのだ。
中でも目を引いたのが、19世紀後期に作られたアンバーのカメオブローチだ。女性の横顔を模しており、耳にはダイヤモンドが輝いている。フレームは銀で、おそらくターコイズの飾りもつけられていた。
もうひとつ気になったのが、キリストの横顔を模したカメオブローチだ。一見ジェットと見紛うような黒くのっぺりとした石でできていたが、よく見るとちらちらと赤いものが。ブラッドストーンだ。
説明文などはなかったが、あえてブラッドストーンをキリストのブローチに使ったのには意味があるのだろう。たとえば原罪と磔刑を示唆している、もしくは殉教の意志が込められている……。
気になる展示③ ピクウェ
あまり耳慣れないピクウェという技法は、「べっ甲や象牙に、金、銀、あるいは真珠の母貝を象嵌したもの」(『愛のヴィクトリアン・ジュエリー』P94)らしい。
元々はフランスのカルヴァン主義者であるユグノーが聖職者への献上品として作っていたらしく、迫害の過程で技法としては完全に失伝してしまった。現代でも再現はできていないとされる。
実は、ピクウェと日本には浅からぬつながりがある。黒地に金銀が光るその姿は日本で漆器に使われる技法である蒔絵と酷似している。一説によれば、ピクウェはジャポニズムの影響を強く受けているのだ。
展示されていた花柄のピクウェバックルも蒔絵そのもので、着物にもよく合いそうだと感じた。和モダンなコーディネートに一品アンティークを加えるならピクウェがいいだろう。
日本で唯一ピクウェの再現に挑戦し、ピクウェを制作しているらしいブランドを発見したので、紹介しておこうと思う。こちらの作品については実物を目にしたわけではないのであしからず。
他にもたくさん!
服飾に関しては初期のレースからウェディングドレスまで、ヴィクトリア女王に関してはインド国王としての印璽や侍女に下賜したメダル、本当に見るところの多い展示だった。
残念ながら6月25日が最終日だったため実物を見る機会は当分ないかもしれないが、解説付きの図録が販売中だ。この記事を書くにあたって参照したのもこの図録だ。とてもおすすめ。
夏が終わったらまたあちこち展示会を見に行って、記事にしたいと思う。