お喋りの生産性
とある日。
数少ない学生時代からの友人と久々に再会した時に、ふとこんな話が始まった。
「この前、初めて幼稚園のママ友とランチ行ってめちゃくちゃ楽しかった!」
「あー、話す事いっぱいあるよねぇ」
「でも、いっぱい話して楽しかったけど『コレって生産性低いな』って思った」
「・・・・( ̄▽ ̄;)」
あ、それ言っちゃいます?
立ち話の流儀
昨日、ようこさんが「立ち話」について記事を書かれていた。
ようこさんは「終了時間が見えない」「長時間、他人と過ごすこと」が苦手とまとめられていた。
女性なら誰もが「うんうん、あるよね」と共感できるお話なので詳細は是非読んで頂きたい。
最後に立ち話してるのは女性のイメージと仰っていたけど、まさにその通りだろう。
朝、ゴミ出しに行ったら近所の人とご挨拶→からの立ち話。
昼、買い物に出かけたら道端で知人に会ってご挨拶→からの立ち話。
サザエさんの中でも、フネさんは縁側で家事をしながらイササカ先生の奥さんと塀越しに立ち話をしている。
別に「おはようございます」「こんにちは」だけで済ませても良いのだ。
立ち止まらないで歩き続ければ良いのだ。
だけど…
なぜか…
「何となくそっけない気がする」
そんな感情が働くのではないだろうか?
私はそもそも普段から自転車でウロウロしているので、あまり道端で立ち話が始まる事はない。
だけど、保育園の送迎時に既に卒園した長男と同じ学年の子を持つママ(小学校が違う)と会うと1ネタだけ会話を挟む事が多い。
書き起こすとバカらしい話だ。
知っても知らなくても良いような話だ。
でも、これくらいが心地よい。
挨拶だけじゃそっけない。
かと言って、終わりのない会話をする余裕はない。
1分で終わるけど、それなりに満足感が得られる会話がしたい。
言語化した事はなかったけれど、恐らくそんな気持ちが働いた結果
「1分間立ち話」というメソッドが自分の中で何となく成立した気がする。
因みに、こちらの予想に反して次々と話題が展開されるケースもある。
この場合は、「あ、やっちまったな」と焦る。
飲み会の生産性
20代の頃、職場の人と毎週の様に飲みに行っていた時期があった。
飲みに行くのが好きな人が多く、残業しているとその場の流れで
「じゃぁ行くか」みたいな空気になっていた。
最初の頃は、「ここだけの話」みたいな会話が展開されたり、陽気なムードが楽しくて喜んで参加していた。
それが半年も経つと「またその話?」と感じる事が多くなった。
その場では楽しく会話してる。
だけど、酔っ払っているので翌日には忘れている。
だから延々と同じ話が繰り返される。
その事に気が付いてから私は「忘年会」「歓送迎会」みたいな名目以外の飲み会には参加しなくなった。
ところが、親になってから再び「飲み会」が頻繁に開催されるコミュニティに属してしまった。
それが「長男の保育園時代のママ友」である。
うちの保育園は年に1度の懇談会が平日の午後に開催される。
子供が「乳児」だった頃は、この懇談会に合わせてママ友とランチをしてから懇談会へ参加していた。
数人で1時間半~2時間のランチ。
滅多にゆっくり話さないママ同士なので話題は尽きず、とても楽しかった。
ところが、子供達が大きくなると
みたいな展開が多くなった。
決してママ達が嫌いなわけじゃない。
みんな良い人ばかりだった。
だけど、複数人のコミュニティで終了時刻が見えない事や、帰る為に子供を説得する事が凄くストレスだった。
その苦悩については、過去に書いている。
何とこの時にも「終わりが見えない」とハッキリ書いていた(笑)
私の中で、飲み会は大量のお金と時間(健康も)を奪う、「立ち話」よりも100倍罪深い存在である。
雑談が9割
でも私は「お喋り」が好きだ。
きっとお喋りが好きだから、営業という仕事をしているんだと思う。
20代から80代位まで、どんな世代の人とでも
普通に会話に応じてくれる人が空いてなら、1時間位余裕で雑談ができる。
同じ仕事をする男性の中には「何を話せば良いか分からない」と言う人もいる。
恐らく多くの男性は目的のない会話が苦手だ。
一方で、私は仕事(商談)でも雑談が多い。
むしろ優績な先輩方と話すと「雑談が9割でしょう」と言う人もいる。
何で雑談をするのか?
それは、心を開いてもらうためだ。
1時間の商談の中で、相手が話す時間が7割以上に持ち込めると気持ちが良い。
「あー、なんかいっぱい喋っちゃった」
商談の終わりに、相手からこんな感想を引き出せたらガッツポーズである。
いっぱい話を聞き出せたら、次回は相手の話の中に自分が主張したい事を当てはめてノートにまとめてから商談に向かう。
この「パズルを組み立てるような作業」が好きだ。
生産性を上げるためのトレーニング
そう考えると、お喋りは私の経済活動に欠かせないアイテムの様だ。
(今更)
子供の頃から親に「お喋り」と言われ続けた。
黙って授業を聞く事が苦痛だった。
集団行動も苦手だった。
スポーツも苦手だった。
そんな私が唯一できた事は「お喋り」だった。
特に、私を最初に「営業」という仕事に推薦してくれた人は私の事を
「普通は恐れ多くて話かけられないような人に、フツーに話かけるから向いてると思った」と言っていた。
そうなのだ。
「あの人面白そうだぞ」と思ったら、誰にでも話かける。
・社外取締役
・本部長
・セミナーの登壇者
・異業種交流会
・PTA会長(笑)
「自分から遠く離れた存在」と共通点を探る作業が面白いのだ。
この経験が仕事に繋がった事も沢山あった。
そう考えると、私にとっては
「立ち話」「雑談」「ランチ」は「人と話をする」を生業とする私にとって大事な生産性アップのトレーニングだ。
但し、「終了時刻がみえる」これはやっぱり大事な要素である。
「これ、何時に終わるの?」
「そろそろ帰りたい」
そう考えだしたら会話が楽しめない。
「あー、もう終わっちゃった。時間が足りないよ」
「今度は泊まりで行こう!」
なんて言いながら帰る位が丁度良いのだ。
だから、終わりの見えない飲み会には今後も極力参加したくない。
さぁ、今日は何人と「お喋り」しようかな?(笑)
今日も有難うございました。