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ユートピアで終わらせたくない箱庭

土門蘭さんの『死ぬまで生きる日記』
こちらの本は章ごとに一冊(種類)の本が推薦されておりました。
その推薦図書を全て読んでみようと思い、少しずつ読み進めているところです。

以前その中の一冊、『八本脚の蝶』の話をさせていただきました。

上記2つは「紹介」や「感想文」というよりは「覚え書き」に近いもので、「とりあえず読んでみてほしい」という気持ちが先行してますね。今回はもう少し内容に触れて書くつもりです。

今回も『死ぬまで生きる日記』の推薦図書から一冊。
岸政彦先生の『断片的なものの社会学』をご紹介。

社会学者として、語りを分析することは、とても大切な仕事だ。しかし、本書では、私がどうしても分析も解釈もできないことをできるだけ集めて、それを言葉にしていきたいと思う。テーマも不統一で、順番もバラバラで、文体やスタイルもでこほこだが、この世界のいたるところに転がっている無意味な断片について、あるいは、そうした断片が集まってこの世界ができあがっていることについて、そしてさらに、そうした世界で他の誰かとつながることについて、思いつくままに書いていこう。

『断片的なものの社会学』イントロダクションー分析されざるものたち/岸政彦

著者がイントロダクションで記しているとおり本当にでこぼこだけれど、拾い集められたたくさんのミクロな世界がそこにありました。

その中で特に気になったのが、12章目の『普通であることへの意志』でした。
章の題材はあるひとつのブログについて。
そのブログは時事問題や身近な社会問題や芸能ニュースなどについての感想が書かれているそうで、文章と共に毎回写真も掲載されているそうです。その写真は旅行中に名所旧跡を背景に撮影したご自身の写真(もしくは、ご自身の写真と名所旧跡の合成画像)だったそうです。
それだけなら、特に何も変わった風には思われない普遍的なブログだと思われますよね。
ただ、その写真の人物が「異性装者」となると、その写真やブログを読む人の中には、奇異の目が含まれるのではないでしょうか。

当章では性の問題やマイノリティやラベルについて触れながら、そのブログがひとつのユートピアを達成しようとする試みではないかと記してあります。

一般的には旅行の写真を載せて、普段着ている服装だった場合、「なぜこの服装なのか」という説明はしないことが多いと思います。「異性装の写真を載せていても、異性装について言及はしない」とは、そういうこと。「何も説明する必要もなくそれが受け入れられる世界である」ということ。
それを実現しようとしているブログなのではないかというのが著者の見解です。

しんどい闘いが存在していなかった世界を、自分だけの小さな箱庭で実現しているのである。

『断片的なものの社会学』普通であることへの意志/岸政彦

これはひとつのユートピアで、実現は難しいとされていますが、そういったことに奇異の目が向けられない世界、嘲笑されない世界というのはやはり理想で、目指したい世界だと思いました。
「異性装」という名前がつかないくらい「自由」であれと思います。
同時に「女性らしさ」や「男性らしさ」など性で括られる不自由さも取っ払いたいものです。

当章のユートピアは実現されて欲しいと思い紹介したのですが、『死ぬまで生きる日記』にも通ずる部分があり、「あぁここを読んで気付いたこともあったんだろうな」なんてことも思えました。
こう感じられることは推薦図書を読める面白さのひとつですね。


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