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感情や思考を具現化して届けることを諦めない
どうも、こんばんわ。
岡本 晃です。
みなさんは、時間や体力やお金を全部注ぐほど熱中しているものが今何かありますか?今はなくてもきっとそういう時期は人それぞれあると思います。そして探している最中の人もいると思います。
僕の場合、写真を撮ること、演じること、そして文章を書くことです。
手段は別として、この3つに共通しているのは「他者に感情や思考を具現化して届ける行為」であること。これらは決してバラバラではなく、共鳴するような感覚で動いています。
人間がどんな生物かと聞かれたら、1つ言えるのは誰かに自分の想いや考えを伝えたい、聞いてもらいたい生き物だと答えます。
これを確信したのは、妹が出産をして愛でたくおじさんという称号を得た時のことです。
姪っ子は話すことはできない、けど必死に泣くという行為で周りに感情を伝えていました。赤ちゃんだから当たり前なんだけど、その姿をみて人間は生理的に感情や考えを伝えたいものだし、それを諦めないように細胞レベルから受け継いでいると思ったのです。
そして同時に他者に感情を伝えるという行為は、とてつもなく難しいものだと改めて感じた出来事でした。
きっとこれから姪っ子は、言葉を覚え、字を書き、スポーツや音楽など表現を知る。そうして、自分の表現できるものを見つけていくんだなぁと勝手に感慨にふけっていました。
今の世界は、インターネットやSNSの普及によりそれらが無かった時代に比べたら、格段に発信が届けやすい時代です。その反面、届いていないことの結果がすぐ見えたり、埋もれやすいともいえます。
開き直りのようかもしれませんが、感情や思考を具現化して他人に伝えようだなんてそもそも土台難しいことなんですね、きっと。
その度に凹んだり、傷ついたり、投げ出したくなることもある。そういうのもひっくるめて、諦めが悪いと言えるし、次の新しい舞台にあがっていくような気がします。
今の僕は、と冒頭に言いました。
諦めずに他者に伝える手段は、来年か再来年かには変わっているかもしれません。それでもいいと思っています。
これじゃなきゃ自分は表現できないんだ、という想いの縛りがいつの間にか足枷になっているような気もしませんか。
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ぼくが写真を撮り始めた時に撮ってもらったインタビュー。
立ち止まりそうになった時に見返しては、何で写真をしているのか、を振り返っています。