Ko Okamoto
写真の考えやアプローチ、撮り方
日記、カメラや暮らしの道具のこと
写真と暮らしで日々を紡ぐエッセイ
写真展や企画などの情報
未知の出会い 半年前くらいからその日が来ることはわかっていた。早いような鈍いような不思議な速度と変な緊張感がぼくらの生活を支配していた。 半年も時間があったから、その場面を迎えた時のシミュレーションをたくさんした。 例えば立ち会いをするために少し余裕をもってかけつけることとか、出会った瞬間泣く自分とか、妻にかける言葉とか、何のカメラ持っていこうとか、誰に報告するとか、などなど妄想を沢山して来る日が待ち遠しかった。 それと、2人の生活というのを噛み締めるように過ごした。順
僕の周りには、キラキラと輝いている人が多い。 色んな境遇の人がいて、それに優劣はない。 とにかく取り組んでいることに夢中だ。 それが転ぶだろうか、羽ばたくのかは別として。 何かを成し遂げるためには、ダメだったこと、を意識すると足がすくんでしまうから、加減が大事なものです。 自分も今いくつか芽を出したいことがあって、それに打ち込んでいる。(もともと飽き性で過ごしてきた僕の人生史的には、1番長く熱狂をもって続いていると感心する) 止めることは簡単。 一度止めた足取りを再開す
晴れの日は外に出たくなって、逆に曇りや雨の日は家に篭っていたい。 そんな想いを同じくしてくれる人がいたら嬉しいな。 先日から写真をきっかけとして出会った友人が泊まりに来ている。 彼とはかれこれ4-5年くらいの付き合い。 たしか年は少しぼくが上なんだけど、そんなことはまぁ関係ないラフな関係で。 とはいえ、何か出かけたりするわけでもなく(ほんと特別することがないんだけど)、今日は朝から家具の配達を待っていた。 外は曇り。 テレビも音楽もつけず、お互い好きなことをして
白か黒かをつけるということが好きじゃありません。 自分にとっての正解、譲れないところというのは芯の部分として持っておくといいと思っているけど、周りに押し付ける、マウントを取られるのは苦手なんです。 なにを話してても自分の土俵にもっていこうとするとか。 そこには伸びしろないなぁって。 この感覚は、役者活動からきていて 役者というのは決められた台本があって、そこから自分なりに作品の世界観を読み取り、稽古の場でぶつけ合う。 そして1つの良いモノを作るために、あれこれ調律
わーーって動き続けた後、ふっと止まる時期があります。 気が抜けたというのもあるかもしれないけど。 この期間は自分で良き停滞のシーズンだと思うようにしていて、充電期間みたいな感じ。 一方で、周りのみんなは動いていてそのスピードに置いていかれてるなぁって気にもなる。 だから、ちょっと焦る。 だけど、動かない。 いや、動けない。 そしてまた、うん。 今はこれが正解なんだと言い聞かせる。 そして圧倒的一人世界に籠る。 snsはみない、更新はしても他の人のはみない。 テレビも
いつもの当たり前の話し相手としばらく離れることになってから、3日が過ぎた。 今目の前のことに一生懸命に生きていると、ふとした時に前のことを思い出すのがなかなか難しい。 なんというか、確かに行った場所や、食べたもの、いつのことかとか、その時出会ったこととか。 1人の生活から、2人の生活になって1番変わったのはこの生活がいつまで続くかなんて分からないから(決っして悲観的ではなくて)っていう理由だけで、大切に記憶を留めるために写真を日頃から撮るようになった。 それは、決して万
9月になった。 (早い早いと言ってると年末になりそう) 時間は早い。 ぼくはのろい。 とにかくのっそりしている。 それの居心地の良さと焦りが隣り合わせ。 そろそろ立ち上がって。 背中押してこ。
はじめてカメラを手にした時のことって覚えていますか? ぼくが本格的にカメラを買ったのは大学4年生の最後のころ。 卒業旅行でヨーロッパに行くことになり、気合いを入れた結果、なぜかデジタル一眼レフのPentax k-30を買った。 あの時カメラを買おうと思った理由は覚えていないけど、きっとぼくのことだ。 かっこいいから、って単純なことだったはず。 Pentaxにしたのだって、k-30のブルーボディがありきたりな黒ボディと違ってオシャレと思っただけで、スペックなんて全く気に
最近化粧をしてたら、ふいに鼻の先にシミができた。 よく見ると指にもこれまでなかったようなシミがあった。 最近久しぶりにバレーボールに行った。 かつて大学で走り回ってた自分はいなくて1セットで筋肉痛。 おまけに翌日風邪をひく。 あとは朝起きるとふらっとすることがあったり、 緑内障になったり。 悪いことばかりではない。 家族に大切なものができたり、趣味で始めた写真は出来ることが増えたり、新しい出会いで生活の中身が充実している。 ずっと大事にしていることがある。
ハーフカメラというものがある。 最近、Pentaxから新しくこの種類のカメラがでて、一気に知名度があがった(と勝手に思っている)。 数年前?にもkodakからも出てたから、そのときに買ったという人もいるかも。 2枚で1コマ(現像時に1枚で1コマも可能)に仕上がるのが、なかなか面白い。 意識して撮るのもいいし、しなくてもいい。 1コマに並ぶことで、その前後の脈絡が浮かんでくるかのよう。 デジタルカメラのようにその場で確認できないのもその面白さを引き上げてくれている。
天気予報の晴れマークがいつのまにか増えていた。 明るいオレンジではなく、きっつーい赤色太陽。見るだけでしんどくなる。 見た瞬間に、今日の外出は遠慮させていただきたくなるもの。だけど、予定はあるもので今日も外出した。 すれ違う人々を見て、この圧倒的な猛暑でよく出かけれるなぁと(自分も同じなのに)と思いながら近所の商店街を歩いて過ごした。 慣れ、っていう感覚?は、大した特殊能力で2年前にはよそ者感で歩いてたこの街の景色も商店街も今では当たり前のものになった。 あまりに慣れす
岡本 晃(おかもと こう) 写真家。岡山出身、東京在住。 1988年 福岡生まれ。 2017年 写真活動を始める。 2023年 写真集「やわらかくて あたたかい」を自費出版 写真と言葉を掛け合わせた「日常的な表現」と「旅記事執筆」を続ける。 なにげない街の景色や様々な人をテーマに取り上げ、写真展やSNSでの作品発表を精力的に行う。 2021年に広島県江田島市の「江田島市民がPR大使」という企画を撮影。2日間で約70組の市民を撮影し、写真展を開催。 ほか、写真と暮らし
自分の投稿を見てて思ったんです。 実はバレーとかカフェ巡りとかインテリアが好きとか、御朱印集めしてるとか、妻とブログ運営しているとか、旅が好きとか、他にもっと引き出しあるんだし、らしさを出せばって。 なんか、それっぽさっていうのがあるのか分からないけど、人間味のあるsnsが好きなんですよね。 ぼく。
先日、4歳か5歳くらいまで一緒に遊んでいた友人に30年ぶりくらいに会った。 きっかけは、母親同志の年賀状でのやりとり。 30年経った今も年賀状でお互いの子供の近況報告をしていて、去年の年末に横浜で飲食店をしていることを教えてくれた。 ふーんと思ったものだけど、なんとなく気になっていて、横浜に行くタイミングで思い切ってお店を予約した。 正直に話すまでもなく、当時の記憶はさっぱりなくって、当時の集合写真を見ても思い出すエピソードとない。 そんな感じでも、写真の面影を頼り
いくら積み重ねても苦手というか、どうしても手に入れられないものがあって、それにいつまでも意地になっている気がする。
今いる自分の場所からほんの少し手を伸ばせる世界に触れたい。ほんの少しでいい。 それを積み重ねて、いつの間にかここまで来たんだなぁという景色やだからこそ出会えた人たちと色んな感情を抱き合いたい。 僕にとってその方法が、写真であり、言葉であり、演劇なんだ。