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今僕が「仲間」をつくることについて

こんばんわ。

岡本晃です。

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これおもろいですね。

暇ならやってみてください。自撮り。自画自賛してます。

全国で自粛が解除され、広島の街も早速流川やら夜のお店に人が流れ始めております。

千鳥足のサラリーマンや叫んでいる若者をみて、あーこんな日常もあったんだな〜とか感じている次第でございます。

僕も友達がやっているお店がいくつか広島市内にあるわけで、顔を出したりすると、その子はもちろん常連さんもいたりするわけですよ。

会話がね、もうなんというか「人恋しかった」みたいな想いを感じて、おそらく僕もそんなのを、わや発しているんだと思います。

よく言っている話ですけど、どんなにオンラインが発展してもオフラインには一生勝てないんだろうなと思っています。
それほど僕らのコミュニケーション文化というのは、密だったんでしょう。

1枚パソコンという壁があるだけで、コミュニケーションの間にちょっとした間があって、その間がその人の本性を控えめにさせている。
そんな気がするんです。便利だなー。

そんなこんなで、オンライン交流はあくまでオフライン交流のためのウォーミングアップみたいな感覚です。

ぶっちゃけ、オフラインで会いたいなって思ってもらえなかった人とその後も関係が果たして続くのだろうかというと想像はできない。

だから、今はそんな今後も付き合いたいという仲間を探している。
そんな気分。

ちなみに僕のスタンスは、来るもの拒まず、去るもの追わず。

女々しく振られたのにかかわらず、眠れぬ夜も振られた子の事を思い浮かべてるなんて荒業は、社会人2年目くらいまでで十分味わった(気がする)。

脱線する前にタイトルの事に戻すと、そういうわけで「仲間」を探しているのだ。

ちなみに僕が思っている仲間とは、何も1箇所に属するという事でもない。

自分とパートナーがまずいる。これが土台。
ここがしっかりあると、何があっても崩れない(気がする)

その次に親友、友達。
いわゆる遊び仲間。ここは、自分の原点回帰のような場所。
立ち止まって振り返る場所だ。
だから、定期的に連絡したり、年末年始は会うようにしている。

そして仲間。ビジネスパートナーもここかな。
こういう時はここ。あれはここ。
みたいな感じで、ケースバイケースで色んなスペシャリストと手を組み形とする。
それができるように探しているのが今。

自分でできる事なんていうのは、ほんとごくわずかだと思います。
なんでもできるマルチプレーヤーもいるけれど、どんなにマルチな人間でも限られた時間の中で全てを捌くのは難しいと思う。

だから、僕は手が回らない、自分ができない事が出てきた時にまずは、
「あの人がいる」という引き出し探しをする。
そうして出てきた人と取り組んでいく。

そんな事がアクティブにできるようになっていくといいなーと思ってます。

で、この活動をすることを通して、自分が普段いないフィールドの人とも繋がれるチャンスができていったらいいなーと。

世界観が広がることは、写真の表現に深みができるための1つの手段。
色んな人が、色んなやり方で写真を勉強しているけれど、そこの経験値だけは、勉強で学んで身に付けれるものではない。
そんな写真に繋がることも考えてのここまでの話でした。

写真うまくなりたいなー
フォロワーたくさんほしいなー

結果を早く求めて動くのもいい。
けれど、そこに作品として、技術としての深みはあるのかというと、?。
どのくらのカメラ歴とかでいうわけではない。

同じ1年でも他の人の5年分を1年でやりきれば、その成長幅は全然違うのだろうなと。

なんかすぐにも!っていうチート技を求めている人をちょこちょこ求めている人をたまに見かけるので、今回のテーマとそれましたが、最後に書いてみた。

さて、梅雨明けが楽しみでござります。


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Ko Okamoto
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