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自分がしたい事くらい自分で決めるんじゃないの?

こんばんわ。

本日から写真展がスタートしました。

詳細はこちらにまとめていますので、気になってくださった方はこちらもご覧くださいな。

これでグループ展に参加するのは、何回目だろうか。

大なり小なり合わせると、5回目くらいかな。

初めては、フォトテクニックデジタルさんの「私的写真集選手権」。見事になんの受賞もなかったですが、東京という土地ではじめてプリントされた自分の写真に感動を覚え、自分の未熟さを痛感し、誰の目にも止まっていないのをわかっていながら、それでも自分の作品は良いんだって自分自身を鼓舞していたのを覚えてる。

この時はこれ以外にも名前は知っていたけど、第一線で活躍している方々に会って話を聞けたりしたものだから、本当に良い機会だったなーと思う。

本当に毎年、全力で自己投資をしてきている気がする。


僕がここんところ、よく言われるのはその行動力はなんですか?って事。

あと、どこに住んでいるの?ってこと。

と、仕事しているの?ってこと。


本当によく言われるようになった気がする。

とても良い事だと思う。


さて今回のタイトルだけど、そんな僕にどうしてそんな行動できるのか、やそのバイタリティはどこからなのか、といった事を聞かれる事が割とあって。

とても回答が難しい。

いや、回答は簡単なんだけど、簡単過ぎて期待されたような答えができていない気がするから、難しい。

じゃあ、回答なんなのですか?ってところなんだけど、

「自分が好きだから、やりたいからやっている」

ただ、それだけなのです。

たまーにどこからともなく、モチベーションの維持の仕方とは?だったり、うまくならないから写真やめようかな、とかSNSでいいねやフォロワーが増えないから面白くない、とかを見かける。

僕からすると、そんなこと言っている時点ですでに冷めているねって感じてしまう。

自分の行動やしたい事、続けたい事を周りの評価や声に委ねるからいちいち、アップダウンするんじゃないの?って。

周りの人たちは、好き勝手をいうものだ。自分のことではないから。

そして、いろんな人がいるし、いろんな考え方がある。

もちろん、聞き入れて自分にとって有益なものは受け入れたら良い。

ただ、それに依存したらつまらないんじゃないのかと思う。


自分のしたいことくらい、自分で決めたらいい。

根っこはこれが全てじゃないかって、今の僕は思っている。


これがまずあって、その上で切磋琢磨する仲間がいるといい。

僕は、仲間達と旅するフォトマガジン「MとW」というのをこのnoteで運営を1年以上続けている。

なぜ、続けて来れているのか。
別にお金は発生していないし、続けることに強制はしていない。

それは、集まっている仲間達が一人一人全力で自分のやりたいことを、誰に言われようがやろうとする人たちだからじゃないかって思う。

そのシンパシーが、共振し合ってこのMとWという場所を楽しんでいる、そんな気がする。


こうした仲間も自分が自分のやりたいことに向かって動き続けているからこそ、出会えた機会だと思っていて、こうしたことがあるからまだまだ動いていこうとなる。

そのきっかけやタイミングは、運次第だし分からないけど、それでもやり続けないと何も出会えないのではないだろうか。


だから自分がしたい事を、他社評価やSNSの反応で一喜一憂してるとするなら、その考え方は一回取っ払ってもいいかもしれません。

あくまでこれは僕の今の考え方。

noteは僕の頭を書く場所にするのが楽かも?

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Ko Okamoto
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