「山水経」メモ⑩
ここからはしばらく、当時の中国(宋の時代)における禅に対する厳しい批判が続く。それはいわゆる「不立文字」的な禅の考えに対する根本的な異議申し立てである。長いので、一文ずつ当たるのではなく一挙に訳してみる。
《今現在、宋の国に、いいかげんなことを言っているやからの一類があり、今は群れをなしている。その間違いは小実(=多言を弄するより、小さな事実を示すことにより迷いを晴らすこと)では撃破することはできないものである。かれらが言うに「今の『東山水上行』の話、および南泉の『鎌子』の話のようなものは、理解できない話である。その意味するところは、もろもろの人間の思い計らいに関わるような語話は仏祖の禅話ではない。人間の思い計らいでは理解できない話、これが仏祖の語話なのだ。そうであるがゆえに、黄檗の行棒(棒で打つ)および臨済の挙喝(どなる)、これらは理解も及び難く、思い計らいに関わらない。こういうものこそ朕兆未萌以前(=父母未生以前)の大悟とするのである。先達の方便が多く葛藤を断ずる句を用いるというのは、理解の及ばない、つまり人間の思い計らいを断じたものだということである」》
これだけ聞くと、禅を学んでいる者などはウンウンとうなずきそうになるかもしれない。しかし道元禅師はこう言う。
《このように言うやからは、かつていまだ正しい師に会わず、参学眼がない。言うにも及ばない愚か者である。宋の時代になってからこの二三百年、このような悪魔の弟子、六群(仏弟子にふさわしくない行ないをするもの)の坊主どもが多い。憐れむべきである。仏祖の大道が廃れてしまったのだ。これらの理解はなお小乗の声聞に及ばず、外道よりも愚かである。俗でもなければ僧でもない、人でもなければ天人でもない、仏道を学ぶ畜生よりも愚かである。このような坊主どもの言う「理解の及ばない話」とは、おまえらだけが理解できないのであって、仏祖はそうではない。おまえらのような者に理解されないからといって、仏祖の理解する道を参学しないことがあってはならない。たとえどうやっても理解できないのであれば、おまえらの今言っている「理解」というものがそもそも外れているのだから当たるわけがない。このような連中が宋の国のいたるところに多い。実際、現地に行ったときに目の当たりに見聞きしたところである。憐れむべきである。かれらは思い計らい(=念慮)が語句なのであることを知らないし、語句が思い計らい(=念慮)を透脱することを知らないのだ。宋に滞在していたとき、そういうかれらを笑っても、かれらは何も述べることなく、黙るばかりであった。かれらの今のありようが「無理解」そのものであり、間違った考えにとらわれているだけなのである。誰がおまえらに本当のところを教えるのだろうか。本当の教えを示してくれる、まことの師範がないのだから仕方がないとしても、それでは自然主義に陥った外道児でしかない。》
痛烈な批判というよりも、もはや罵倒に近いものを感じる。それぐらい当時の「不立文字」を掲げた禅に対する怒りに満ちている。
とはいえ、これは決してひとごとではないように思う。実際、わが国においても、いわゆる「禅」の世界において、上で批判されているような言説や態度がまかり通ってきたのではないだろうか。禅といえば、やれ思考は邪魔である、文字にとらわれるな、修行は考えごとではない、ただ坐るのみ、自然のあるがままのすがたこそ大事だ、などなど…。
だが道元禅師ほど文字やことばを大事にする人もいない。そうでなければ『正法眼蔵』をはじめ、これほど大量のことばを残すわけがない。
上記の文中、以下の箇所が特に際立つ。
「あはれむべし、かれら念慮の語句なることをしらず、語句の念慮を透脱することをしらず。」
念慮(=思考)が語句なのだという。したがって思考が間違っていれば、言葉もおかしいものになるし、言葉がおかしければ、思考もおかしくなる。だからこそ思考と言葉は大事なのである(八正道に「正念」や「正語」があるように)。
しかし、思考と言葉が相関しているということは、裏を返せば、本物の語句によって従来の古い思考を透脱することもあるということなのだ。いやむしろ古い思考のとらわれを透脱するのは、ことばの力によるのである。その従来の思考を透脱する語句が仏祖や経典のことばなのである。だから、それらの語句に真剣に参学するのは立派な仏道修行である(それは語句にとらわれることではない)。
もちろん、言葉(口)と思考(意)が正しくあるためには、まず身が調わなければならない。だから身心を調えることはとても大事なことである(坐禅とは身口意の三業に仏印を標することであるといわれる)。けれども、直接的な体験ばかりを称揚し、語句を否定するという態度はただの自然外道(ありのまま、自然のままのすがたに気づくだけでよいとする思想)の一種にすぎず、仏道とはいえない。道元禅師は『正法眼蔵』のいろいろな箇所で、自然外道にならうことなかれ、と執拗に注意を促している。それぐらい当時から流行していたのだろう。