習慣を変えよう〜寝ている間に色々考えた話

(2021.9.21)

 おはようございます。sizukukoboです。

 火曜日のテーマは「習慣を変えよう」です。 自分で設定したゴールに向かって、毎日の習慣を見直し、新しく継続できそうなことを習慣にするために試行錯誤の様子をお伝えしています。

 目標を掲げていたこの一週間でしたが、半分はワクチンの予防接種の副反応で何もできませんでした。ある程度覚悟はしていましたが、三日間も何もしないと、今までやってきた習慣もなし崩し的にやめそうでちょっと怖くなりました。新しく始めたり、継続したり習慣にするのは本当に大変なのに、やめるのはとても簡単です。年末までの3ヶ月はより気を引き締めていかないとフェードアウトするなと感じました。

 休んでいたこの三日間、色々と考えたことがあります。

 火曜日のテーマの「 習慣を変えよう」について本質を見つめ直しました。
 このテーマを掲げた理由は目標を達成するためです。継続することや習慣を仕組み化して行動していけるように、このnoteや音声配信に予定や途中経過、できたことできなかったことを正直にお伝えしてきました。ところがいつしか、この二つの発信を続けることが目的となってしまい、行動を継続することが目的だったはずなのに、逆転してしまいました。行動ができていようができていまいが、とにかく記事を毎日投稿する。これが私にとってとても重要になっていました。毎日配信することで満足感と継続したという安心感を得ていました。実際は大きい前進をしていない言い訳になっていました。

 誘惑に弱い自分が、9ヶ月も毎日記事を投稿して音声を配信している。一か月休んでいた5月も、毎日下書きに録音していた。これが自分にとって自信につながったことは間違いありません。ですが、これをただ継続して残りの3ヶ月で目標達成するのは無理があることに気づきました。「よくやった自分」と自分を褒めることはとても大切です。自分を受け入れ、認め、自己肯定感を上げることは必須です。ただこれを永遠に続けていても、自分を引き上げていくことはできません。今回、体が動かなくなりベッドで3日寝ている間に向き合った結果です。苦しくても、自分が目指していく目標に向かって、今、自分自身を引き上げるタイミングに来たと痛感しました。

 続けてきた記事投稿。音声配信。続けていく上でどうせ続けるなら自分を引き上げられるような、一歩前進できるような、そんな記事にしていかないとただ継続しているだけの自己満足記事になる。既にそうなっている。そう思いました。具体的にどうすればいいか、まだ対策が浮かびませんが、とりあえず読みやすいように写真を間に1枚挟むとか、文字を強調するとか、何か一つでもいいからプラスアルファを心がけよう。今はそう思っています。

 継続することだけに満足せずに、時々自分の行動を客観視できるようになったのも大きな成長と言えるかもしれません。今までだったら、「よくやった自分」と褒めてそれ以上のことはあまり考えないようにしてきました。自分を前進させたり、引き上げていくことに終わりがないと感じてしまうからです。終わりがないと感じてしまうものはやっていても先が見えないので辛いだけです。「どこまでやったらいいんだろう」という沼にはまります。本来は、目標を掲げてそこに向かっていくプロセスそのものが楽しいはずです。ちょっと上を目指してできないことを努力してできるようにする。できなくてもその努力そのものを楽しんですると決める。そんな毎日だったら、どんな日々も苦しくありません。 
 目標が高いのか、根っからのぐうたらのせいなのか、今の私はプロセスを楽しめているとは言えません。正直、躍起になっているとしか言えません。これでは苦しくて続かないと客観的に見ても思います。

 体が動かなかったおかげで、自分なりに色々考えることができました。配信をすること自体が習慣化されていました。悪いことではないけれど本来の目的を見失わないようにしないとと思った次第です。

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