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「受容」が人生と世界を変える

今回も、前回に引き続き「パワーか、フォースか」の「意識のマップ」で紹介されている意識について書いていく。

今回は、「理性」、「愛」、「喜び」、「平和」、「悟り」の5つの意識の要約と、これまで3回書いてきた記事のまとめを書いていく。


【理性】

・理性によって大きくて複雑な量のデータを扱いながら、迅速に正しい決定もできるようになり、関係性の複雑さや深さのレベル、微妙な違いを区別し理解できるようになる。

・抽象的なコンセプトや象徴的な発想を活用することが次第に重要となり、科学や医学、インスピレーションを概念化することや読解力が増大していく。

・このレベルの短所は「木を見て森を見ず」の状態になってしまい、基本的なポイントを見逃してしまうことがあり、理性によって莫大な量の情報と資料による裏付けを生み出すものの、そのデータと実際に起きている結果の矛盾を解決する能力に欠けることがある。

【愛】

・愛することは心の持ち方であり、世界に対して許し養うサポート的なあり方である。

・愛を発するのは理性からでも頭からでもなく、ハートから発するもので、その動機の純粋さから他の人たちのエネルギーを引き上げるというような大きなパワーを持つ。

・このレベルに達すると、物事の本質を識別する能力が優れ、理性を使わなくても問題の全体性を瞬時に認識する能力が生まれていく。

・時間とプロセスに対する捉え方が拡大し、連続して現れる現象を頭の中で解読するのではなく直観でとらえるようになる。

・立場にとらわれることがなく区別をしないため「他とひとつになる」ことが可能となり、包括的に自己に対する意識を徐々に拡大していくようになる。

・生きることの素晴らしさに焦点を合わせポジティブさが増大し、ネガティブなものを攻撃するよりも、それをリセットすることで溶かすようになる。

【喜び】

・「愛」がますます無条件になるにつれて内側から喜びが湧き出し、そういった感覚がすべての行動に伴いながら一瞬一瞬に感じられるようになる。

・この状態の印は「慈愛」であり、このレベルに達すると他の人にはっきりとした影響を与えるようになり、長時間相手をじっと見つめることで人々を愛と平和の意識に導くようになる。

・世界は創造の完全さと絶妙たる美しさで輝いて映り、すべてが共時性を持って自然に起こるようになって、世界とそのすべてが愛と神性の表現であるということを理解し、個々の意志は神意に溶け込んでいくようになる。

・他者に対する責任感は、特定の人だけではなくむしろ生命そのものに使おうとする願望を持つようになる。

【平和】

・この状態に達すると主観と客観の区別がなくなり、至福の状態が連続的に起こるため、自らを世間から切り離し通常の生活を辞めてしまうこともある。

・時間や空間がスローモーションに感じられるようになり、じっと固定されているものは何もなく、それらが生き生きと輝きすばらしい進化のダンスが繰り広げられていると感じられるようになる。

・心は思考することをやめ永遠の静寂が訪れ、観察者は光の中に溶けて観察されるものと等しくなり、無限のパワーの存在によってすべてが連結し、優しさに満ちあふれるようになると同時に、石のようにしっかりとした存在となる。

【悟り】(エンパワーメント)

・歴史上の偉大な人の、昔から人類を従えてきた「スピリチュアルなパターン」を創造した数知れない人々のレベルで、すべてが「神の意識」に繋がっていて、時には彼らも神と同一視される。

・これらの存在は人類のすべてに影響を及ぼし、このレベルでは自他が分離せず、むしろ自己の意識と神の意識が一体化し心を超越した大いなる自己を無限に感じるようになる。

・自らが模範となって自己を超越することで、他者に貢献し人間の範囲における意識の進化の頂点を示す。

・「私」という肉体的な区別はもはや存在せず、自分という存在の運命
にまったく関心を持つことはなく、二元性のまったく存在しない完全たるワンネスのレベル。


ここまで「理性」、「愛」、「喜び」、「平和」、「悟り」の意識の特徴を要約してみた感想を述べるなら、正直に言ってしまえば、これらの意識を、僕のこれまでの経験から身近に感じることは、なかったといってもいいかもしれない。

たとえば、前回の「受容」のレベルであれば体験を通じて部分的に理解できるところもあった。

体験を通じてというのは、自分が体験したというのではなく、そういった体験をしている人と、実際にあって話を聞いた事があるということである。

「受容」が起こった人とは、これまで直接あって話したこともあるから、そういった受容についての具体的なイメージを持つことはできる。

しかし、「理性」、「愛」、「喜び」、「平和」、「悟り」の意識を持った人との出会いはなかなか起こるものではなく、リアルさがない分、本の中の知識でしかない。

そういったこともあり、今回の理性以上の意識は、まさに次元の高い意識であり、簡単に身近に感じることのできないレベルのように思えたのだ。

たとえば、スキューバダイビングの知識を得ることと、実際に深海の中を潜ることが異なるように、「理性」、「愛」、「喜び」、「平和」、「悟り」の意識を文章で読んでそれを知識を得たとしても、それを体得することはできない。

とはいえ、こういった人と実際に接することができるようになれば、未知の領域を開くこともできるようになるだろう。

こういった意識を持った人と出会い、何かしらの経験を持つことは海に潜ることと等しいといえる。

そういった人の言動を直接、体感することができれば、それが経験となって自分にフィードバックされていく。

彼らには、そういった多大な影響力がある。

いずれにせよ、日常生活においては「理性」、「愛」、「喜び」、「平和」、「悟り」の意識を目指すのではなく、現状で普段使っている意識をしっかりと味わい尽くして、その結果、次なる段階へと進化していくことが、現実的な方法となのだろう。

いきなり深海を目指すのは危険すぎるし、上手くいくはずがない。

ゆっくりと慌てることなく、徐々に深度を深めていくのが最善の方法であり、今を最大限に生きた先に、次のステップにたどり着くのが自然の流れとなる。

といったわけで、これまで「勇気」から始めて今回の5つの意識を含めて3回程、人のポジティブとされる意識について書いてきた。

最後に「パワーか、フォースか」の本の中に、まとめにふさわしい文章があったので、そのまま引用したいと思う。

 自らの人生に責任をとることで、まずはエネルギーの低いレベルから200に上がることができます。それがもっとも高いレベルのすべてへの飛び石となるパワーが出現する臨界点です。
 真実に直面する勇気は、次第に大きなパワーが現れる350のレベルである「受容」に導きます。ここには、人間の社会問題の大部分を解決できるくらいのエネルギーがあります。
 これは次第に500のもっと大きなパワーである「愛」のレベルに通じています。それから自分自身に対しても、また他の人たち、誰もが人間の弱点に対して許しと慈愛を引き起こすのです。
 「慈愛」という意識のレベルは、神の恩恵の入り口です。そうなると私たちは誰であり、なぜここにいるのかという最終的な気づきに導かれ、さらにすべての存在の究極の源へと導かれます。

この文章から読み取れることは、まずは「自分の人生に責任をとること」、それが自分自身に力を与え、やがて「受容」に導くようになる、ということ。

ちなみに、本の中で、300レベルの意識の人1人と200レベル以下の9万人の意識の人は等しく、400レベルの1人と、200レベル以下の40万人の意識が等しいと書かれている。

「受容」の意識は350であるから、ちょうどその中間となる。

このことから、「受容」の意識の人が増えていけばいくほど、その分だけ人類の意識レベルが上がっていくことになるといっていいだろう。

「自分の人生に責任をとること」とは「受け入れる」ということであり、自分を受け入れることができれば、自然と勇気が生まれ、それ以降はポジティブな意識を使って生きていけるようになっていく。

そして、自分を肯定し受けれることができるようになって始めて、自分の人生を謳歌できるようになる。

こういったことから、自分らしさの出発点は、自己肯定・自己受容にあると考えていいだろう。

今回、あらためて「パワーか、フォースか」という本を手に取ってみて、感じたことは自己肯定・自己受容の大切さだった。

これからの先の未来をよりよくしていくためには、自分の人生に責任をとって自己受容を起こし、自分にも他者にもパワーを与えられるような人が増えていくことが大切なのだと確認することができた。

もしかすると、この自己肯定・自己受容が、今の人類にとっての大きなテーマなのかもしれない。

これができれば世界のあり方が変わっていき、誰もが喜びの循環の中でよい影響を互いに与えながら生きていくことができるようになるだろう。

自己肯定・自己受容、この2つさえできれば、あとは自然と人の意識は進化していくのだと思う。



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